せーじ

ここは退屈迎えに来てのせーじのレビュー・感想・評価

ここは退屈迎えに来て(2018年製作の映画)
2.3
211本目。ジャケットの橋本愛さんの表情になんとなぁく惹かれてレンタル。
へええ、門脇麦さんや岸井ゆきのさん、成田凌さんや渡辺大知さんも出てるんだ、豪華だなぁと…観る前にFilmarksでぽちぽち感想を調べてみたら、あらまぁ酷評が並んでいるじゃないですか。監督誰?…と思って監督名をクリックしたら、思わず固まってしまいました。

「マ、ママレードボーイ撮ってた人やん…」

ま、まぁそれでも流石にアレとは違うだろうと思いなおして鑑賞をしたんですけど、その思いは冒頭五分ほどで粉々にされてしまいます。

「カ、カメラワークが全く変わってねぇ…それどころかパワーアップしとるやん……」

どういうことなのか簡単に説明しますと、「ママレードボーイ」では、意味がない俯瞰のショットでクレーン撮影やレール撮影を長回しで何回も何回も何回も繰り返していたんですけど、この作品でも全く同じようなことをやっていたのです。しかもヤバいことに作り手は、この作品で「車載長回し」と「手持ち長回し」という新たな技を繰り出してきました。カットを割らずに、割ったとしても非常に中途半端なタイミングで割って、俯瞰で豆粒みたいに写ってる登場人物を撮り続けてみたり、ファミレスでは意味なく建物の外にいる登場人物たちを建物の中からカメラで追って、中に入って席に座ってオーダーをしてからドリンクバーに行くまでず~っとその場所でカットを割らずに、でも手持ちで撮り続けてみたり、車載撮影では登場人物や車の種類が変わっても、車外の正面からアングルを変えずにず~っと長回しで撮り続けてみたり、挙句の果てには狭い部屋のシーンでもアングルを変えずに手持ちでちょっと離れた場所から長回しで撮り続けたりしているんです…。
当然手持ちだと画面がグラつくので、せわしなくなってしまって会話や演技が頭に入ってきませんし、カメラのアングルがそもそも超客観視点なので、登場人物が一生懸命身体を使って演技をしていても、表情や心情とかが全く伝わってきません。それどころか、俯瞰で撮っているシーンでは二、三箇所どこに誰がいるのかがわからずに、見失ってしまうシーンがあったりもしました。

…おかしいですよね?
…おかしいと思うのは自分だけ…ですかね?

撮り方が変なので、ストーリーなんてものはまともに頭に入ってきやしません。
しかも2004年、2008年、2010年、2013年と四つの時制を、登場人物を変えてランダムに織り交ぜて語ろうとするので、訳がわからなくなってしまいます。「ひとりの男を取り巻く女の子たちの話?」ということは理解できたんですけど、結局何を伝えたいのかがふんわりとしたまま終わってしまうので「…で?」となってしまいました。「桐島、部活やめるってよ」に「勝手にふるえてろ」のバッドな展開をふりかけて煮詰めて焦がしたような感じ…というとわかりやすいかもしれないです。
広い橋の上で門脇麦さんが叫んだり歌ったり、制服姿の橋本愛さんたちがプールで水かけっこしたり、バイクに乗りながら渡辺大知さんが大声で歌ってみたりというベタな雰囲気映像も満載で、つくづくげんなりとしてしまいます。
彼らが歌っているのは、フジファブリックの「茜色の夕日」という曲なんですけれども、別に劇中、過去のシーケンスで誰かが聴いていたという描写があるわけではないので(それこそ椎名が好きだった曲ということにすればいいのに)ファンでなくとも正直「なんで?」となってしまうと思います。

車載撮影とかは、イ・チャンドン監督を見習って!お願いだから!と思ってしまいました。というよりも「ママレードボーイ」だけが特別だったのではなく、こういう撮り方がいいのだと思ってやっているということがわかってしまったので、思わずゾッとしてしまいましたよね。。。
若手の俳優陣が頑張っているので、映画としての体裁は一応あるんでしょうけれども、根本的なところがダメダメな一作となっております。
非常に勿体ない、無駄遣いだと言っていい作品だと思います…
せーじ

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