新潟の映画野郎らりほう

九月の恋と出会うまでの新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

九月の恋と出会うまで(2019年製作の映画)
2.7
【強迫性貞操観念神経症】


部屋に開いた穴から声がするが、物語上「穴」である必然性は乏しいわけだ。
にもかかわらず何故「穴」かとゆえば、それがセックスのメタファーに他ならないからであり、志織(の部屋)の穴には夜毎 正体不明の男(の声)が入ってくる。

純潔至上主義者なのか - 女の過去の男性遍歴に固執し、「穴兄弟(下衆な表現だ)」の存在を極端に恐れる平野(高橋一生)は、志織(川口春奈)が施錠に無頓着である事を叱責し 鍵(貞操帯)を与える神経症ぶりを見せる。

志織の額に冷えピタを貼るべく恐る恐る触れる姿。初デートの帰路、手が触れそうになるのを自制する様子 - 何れも平野の紳士ぶりを伺わせる挿話だが、前述した各場面/因子を鑑みれば それが単に『恋した女ではあるが 男性遍歴が明らかになる迄は穢らわしくて触れられない』だけなのは自明であろう。

存在消失の可能性 - 実際上の消失に非ず、強い貞操観の証明が為されなければ平野の恋愛対象でなくなる事の示唆。
その回避/解決策として設定される“一年間”が、所謂〈離婚後300日ルール〉とは前時代的潔癖ぶりである。

尾行していた筈が 監視/束縛されている。
手に持つ包丁/岩も 男の強迫的なまでの貞操観念を際立たせる等、各場面/因子悉く怖く見える。


志織がスカート裾を捲り上げ脚を露出し入水する刹那に、後方に突然勢い良く噴出する大量の液体 - アザリロビック「エコール」を思わせるその場面に、ロリコン/ペドフェリアの類と 男を知らない女=子供への嗜好が重なって見えた。
無邪気な笑顔を浮かべる志織の周りには幼い子供達の姿があり、志織を子供と同列(equal)としているのだ。




《劇場観賞》