ーcoyolyー

存在のない子供たちのーcoyolyーのレビュー・感想・評価

存在のない子供たち(2018年製作の映画)
4.0
月経というか初潮の描き方を観て「あ、これ女性監督だ」というのと同時に『たけくらべ』だ!ってなって、樋口一葉が描いたものって存外こういうことだったのかと蒙が啓かれた思いになった。あれスラムの話なんだよ。士族の娘がスラムを見て書いた話。だからきっとこの映画の監督の眼差しと極めて近いんだと思う。初潮を迎えた女の肉体がどうなるか、子供を産んだ女の肉体がどうなるか、それを変にドラマチックに描くのではなく日常の一コマとして経血が下着を超えて服に滲んでしまったり胸が張って辛くて搾乳したりというシーンをバランス良く映画に織り込んでくる。その肉体を生きている人だからその肉体に起きる日常のトラブルとして平熱で。

私ずっとこの映画観ていて「羨ましいな」という感情が抜けることがなくて、あの初潮を迎えた『たけくらべ』の美登利のような境遇の女の子には、そのことに対して本気で怒ってくれるお兄ちゃんがいるし、そのお兄ちゃんだってギリギリのところで運良く助けてくれる大人が実は常にいるんですよね。あの子運ゲーの勝者のように見えるんだわ。

私には助けてくれる大人がいなくて、どこにもいなくて、この映画に出てくるような中東や東南アジア・南アジアやアフリカの恵まれない子たちが可哀想だと募金したり現地に支援しに行ったりする修道女が周囲にいたり話を聞いたりしてましたけど、その人たちは遠くの可哀想な子は助けに行っても目の前にいる被虐待児の私に対しては助けるどころか虐待を助長するようなことやその学校空間の中での体罰の当事者にすらなっていたわけで、でも「お前戸籍があるんだからまだマシだろ」という空気を押し付けてくるわけで、私もそれに飲み込まれて洗脳されて自分が受けた傷なんて大したことないと思い込まされた結果の精神2級手帳保持者爆誕なんですけども、なんかもうそういう欺瞞に満ち溢れた場所よりこうやって剥き出しになっている場所の方が楽な部分もあるから、「いいなぁ」ってなってしまった。徹底的に言い訳もできないほどダメな場所っていうのは楽なんだよ。虐待する親って外面いいことが多いから外面も徹底的にダメな親からの虐待、誰が見ても即児相案件と判断されるケースってこの界隈ではある意味ラッキーなことでもあって、この映画の舞台に比べたら日本はなんて恵まれているんでしょう、と短絡的に考えることができる人たちは善意からの地獄を私たちに押し付けてくる人たちでもあるので、そういう感想を顔に書いて劇場から出てくる人の方が多数派の映画館という場所で観なくて良かったなとつくづく思います。

エチオピア人よりフィリピン人メイドの方がヒエラルキー上とかはちょっとハッとしましたね。フィリピン人が格上なんだ。シリア難民の子が望むスウェーデン移住なんかもユーゴスラビアからスウェーデンへの移民の子であるズラタン・イブラヒモビッチ自伝を読むとそんなキラキラする未来が待っていないこともわかるので、でも実際あそこでの生活よりはマシになることもまたわかるので、世界の見え方に揺さぶりをかけられた点では得るものが大きかったです。

何よりこの主役のこの目ね。ガチモンしか持ち得ない目。この歳で。誰にも何にも期待してない絶対零度まで醒め切った目。この子役の少年はシリア難民らしいのですけど、彼が何も語らずともそこの生活の厳しさが伝わってくる目だった。そしてまたこの目を持つ子というのが遠い国だけにいるのではなく日本にもいることを私は知っている。たまたま目にしたテレビ番組で可愛らしい女の子が笑顔なんだけどやけに腹が据わっていてこんな醒め切った目をしていて隠しきれない迫力があって何者!?としばらく目が離せなくなっていたら少年院上がりのアイドルなんだと分かって、戦慄かなのさんの名前を覚えました。

この目を持つ子を主役に据えることができたというのがこの映画の成功の理由なんですけど、子供にこんな目をさせちゃいけないんですよ。こんな目をした子供がいる社会はそれだけで失敗している社会なんですよ。大人っていうのは子供にこんな目をさせちゃいけないと分かって努力しなければならないんですよ。それができない大人なんか害悪でしかないから皆消えればいいと思います。
ーcoyolyー

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