新潟の映画野郎らりほう

帰れない二人の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

帰れない二人(2018年製作の映画)
4.2
【テセウスの船】


父を置き去りにするバス内キャメラの突き放し具合。頻出する時代遅れな流行歌。幼子居ようが構わず紫煙立ち込めるバス車内―。

時代遅れ。

容赦無く人を置き去り進む酷薄な“時の流れ”がそこにはある。
日本を抜き アメリカに比肩す経済勃興を遂げた中国の時流は 正に大河長江の流れの如しである。そしてその巨大な流れには、否応無く取り残される地方と 置き去りにされる人々がいる(冠婚葬祭 / 仁義 / 契りの盃 / 厄祓い 等、伝統や因習は対照的に形骸化する)。

その凄烈な“時”の隔絶は まるで“タイムスリップ”の様相であり、つまり五次元 / 相対性理論 / ワーム及びブラックホール / 事象の地平線等、SF設定用いずとも“人を置き去るタイムスリップ”は描写可能であり、起こり得る事を 本作は表明している。チャオ(チャオタオ)が、漆黒の夜空にそれらしき光芒看取するのはその証左に他なるまい。
翻り同語反復めくが 現中国の勃興は既にSF世界同義の凄烈度を示している。


ラストカット。防犯カメラに映るチャオの姿が拡大を繰り返す―。
4K8K/ハイデフ時代に 低解像度で“時代遅れ”示し 更なる時流からの置き去りを表徴。
監視社会進む事への危惧。

彼女の複雑な情感も、この様な人々の生き方すらも、一律にピクセル化し データ化し 飲み込み巨大化す中国は、ヘラクレイトスの川浮かぶテセウスの船か。
誰も帰れるわけがないのだ。




《劇場観賞》