とりん

GODZILLA 星を喰う者のとりんのネタバレレビュー・内容・結末

GODZILLA 星を喰う者(2018年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

アニメゴジラシリーズの3作目にして完結編。
前作の最後ついに口に出たギドラとの対決が予想された今作。
序盤から怪獣vs怪獣かとアクションものを期待していたが、その期待は見事裏切られる形となる。
まぁこれまでの流れからすれば予測できていたが。

このシリーズ自体が怪獣同士のバトルものやゴジラと人間との戦いを趣旨に置いているのではないのではないかと思ったりもする。
元々は人間が圧倒的生物のゴジラ相手に立ち向かうといった形ではあったが、それ自体がすべての循環するサイクルの1つであり、人は同じ過ちを繰り返しているという意味を表しているのではないだろうか。
"発展しすぎた文明は自らを滅ぼす"といった言葉をどこかで見聞きしたことがある。
現にこれまでの過去の文明はどれだけ進んだとしても全て滅んでいる。
長い時間軸で見ればそれは繰り返されており、今自分たちが作り上げている文明もいつかは滅ぶものではないか。
この作品ではそれを体現しているその化身がゴジラということなのだと想定した。

ある地点まで到達した文明は必ず滅ぶ、映画では星で表しているが、そうしたサイクルを繰り返している。
実に哲学で科学的な考えでもある。
これまでのゴジラの中でこういった部分が一番強い作品なのかもしれない。
1作目を見たときにそこまで強いメッセージ性を感じなかった(2作目は特に)が、全てを通して見ると全体が見えてくる。
自分たちが侵している過ちなどをもう一度たち帰ったり、今進むべき文明が正しいかを再確認すべきかを確認提示しているのではないだろうか。
最終的に今あるまた同じ繰り返しをしようとしている自分たちに気づいたハルオが身を呈してゴジラに立ち向かい文明を消すことで、少なくとと現存するゴジラの役目を終わらすことへ導いている。
しかし最後に示されたモスラの形は繰り返されるこの形を再び示すのかギドラのようなさらなる悪を示すか、はたまた違う光を導く化身なのかそこまではわからない。
こうした化身を提示しているだけで、根本的にはそういった哲学や科学的な内容を表している映画なのだと思う。

そこに宇宙が有限である話や第2宇宙といった宇宙科学に加え、一神教としての教え、人は絶望にぶつかった時に何かにすがるといった宗教的な考えまで入ってるので複雑かつ意味が伝わりにくかったりもする。
説明くさい部分も多いし、語りもかなり多い、アクションとは言い難い要素も多い。
だからこそ酷評だったりもするのだろうが
個人的にはそんな嫌いになれない作品だし、なんか考えれば考えるほどいろんな要素を詰め込んでいるのではというも見えてきて、惹かれていっている。

ただゴジラファンとしては一重にゴジラシリーズと言われると納得いかない部分も多くある。
モスラはあくまで伝え継がれる守り神のような存在で影しか出てこないし(モスラとは言ってない)、ギドラは首だけの龍だし(まぁ"キング"ギドラだから、同じとは限らない)、もっとバトルものよこせよとも言いたい。
それにずっと人間が抗い戦ってきたのに、最後は怪物が結局倒すのかよという。

あれほど憎んだゴジラを応援しているように捉えられる発言もある。
人の憎しみや恐怖が怪物を作り出し、生き過ぎた文明や科学は怪物を生み出すためにあるのではないかという博士の言葉には思わず納得してしまったり。
諭されたり納得したりという点は多く、心理的な部分も見ると、深い映画なのかもしれないが、いかんせん回りくどかったりゴジラシリーズ、アクションもの?として納得いかない部分は強かったりして、挙句のこの結末でくると酷評も仕方ないかなと。
最後に、ハルオが新たな命を芽吹く春にちなんでつけられた命名であり、生まれてすぐにゴジラによる支配があったため初めて春の花が咲き誇る光景を目にして感動するシーンがあるが、命の繋ぐ紡ぐの話をしていたのに花むしる行為はありえなさすぎて、思わず吹き出した。
とりん

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