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マチネの終わりにのumisodachiのネタバレレビュー・内容・結末

マチネの終わりに(2019年製作の映画)
3.1

このレビューはネタバレを含みます

平野啓一郎の長編小説を映画化。福山雅治と石田ゆり子が大人の恋を演じる。

世界的なクラシックギタリストの蒔野は、コンサート後の楽屋でパリで記者として暮らす洋子と出会う。すぐにお互いに好感を持ったふたりだったが、そのときは特になにもなく別れる。数か月後、パリでテロに巻き込まれしばらく休養していた洋子の元を、マドリード公演前の蒔野が尋ね、愛を告白する。しかし、洋子には婚約者がいて……。

実際に会ったのはたったの3回なのに、運命の恋に落ちた男女を描いている。途中で『思い出にかわるまで』(古い)ばりのすれ違いが起き、ふたりは引き離されてしまうわけだが、この部分を安っぽいメロドラマと見るか、感情移入できるかによって評価が分かれるだろう。

けっこう冷めた気分で観始めたはずなのに、私はそれなりに感情移入してしまった。というのも、最初から蒔野はスランプに陥っていて、洋子との出会いに逃げているようにも見えたからだ。そして洋子に会ってからは、すっかりやる気をなくしてしまって事実上の活動休止状態に突入するに至るわけだが、あのまま洋子と結ばれたら、彼のギタリスト人生は完全に終わっていたかもしれない。私はそんな可能性を感じていたから、決定的なすれ違いを生んだ「あの人」の動機を単純に嫉妬だと片づける気になれなかった。

それに……どこかに何か引っかかるものがなければ、あんなにやすやすと引き下がらないと思うわけで。結局のところ、「この運命に身を任せてはいけないのかもしれない」と思う何かがあったっていうことなんだと思うんだよな。「絶対に逃せない!」と必死になるときと、「無理するなということかな」と諦めるときって、誰にでもあるんじゃないだろうか。もちろん後になって後悔することもあるけれど、あのふたりが簡単に諦めてしまったのも、なんとなく分かる気がした。「あの人」は絶対に逃せない!と思ったわけだが、それは恋愛感情や独占欲だけではなくて、音楽のためでもあったのではないかと。少なくとも、私にとっては納得できる部分もあった。

……と、ストーリーとしてはまあいいのだが、映画全体としてはちょっとメリハリに欠ける気がした。東京、パリ、マドリード、ニューヨークと世界を股にかけた映像は美しいものの、テンションが同じなのでのっぺりとした印象を受ける。後半からは動きがあるが、時間は飛ばすし説明ばかりだしで、映画的な演出とは言い難い。もっと心理描写を徹底してほしかった。

あと、福山雅治と石田ゆり子だとさすがに年齢が高すぎる。さすがに40代半ばまでのキャストにするべきだと思う。雰囲気は良いし美しいのだが、後半の展開に説得力がなくなってしまっていた。あと、やっぱりどう考えても洋子だけが酷い目に遭っていて、不均衡。覚悟が足りなかったとか、責任感がなかったとか、そりゃあ色々言えるけれど、フィクションなのに男女でここまで差がついているのは気になる。どっちかっていうと振り回されているのは洋子だから、なおさらだ。

まあでも、ちゃんと恋愛映画だったし、しっかりと恋の過程が描かれていたのは間違いない。未来が過去を変えることもあるというテーマも説得力があったし、美しい作品だった。誰かを想うのに、会う回数は問題じゃない。うん、そうだよね。



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