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冬時間のパリのkuuのレビュー・感想・評価

冬時間のパリ(2018年製作の映画)
3.8
『冬時間のパリ』
原題 Doubles vies
映倫区分 G
製作年 2018年。上映時間 107分。
オリビエ・アサイヤス監督が、冬のパリを背景に、もつれた2組の男女の愛の行方や幸せを模索していく姿を、洗練された会話やユーモアとともに描いた恋愛ドラマ。
セレナ役のジュリエット・ビノシュ、アラン役のギョーム・カネ、レオナール役のバンサン・マケーニュらフランスの名優が共演。

編集者のアランは、押し寄せる電子書籍ブームの時代に順応しようと奮闘していた。
そんな中、作家で友人のレオナールから、不倫をテーマにした新作の相談を持ちかけられる。
内心で彼の作風を古いと感じていたアランだったが、アランの妻で女優のセレナの意見は正反対だった。
アランとセレナの夫婦仲は最近うまくいっていないのだが、実はアランは年下のアシスタントと不倫中で、セレナもレオナールと秘密の関係を持っていて……。

監督オリヴィエ・アサイヤスが今作品に対してのコメントが記事にあり、グッときたので和訳されたんの抜粋から始めます。
『私たちの世界は常に変化している。
私たちの世界は常に変化している。
問題は、その変化に目を配り、何が本当に危機に瀕しているのかを理解し、そして適応するかしないかである。
結局のところ、それこそが政治であり、意見なのだ。
私たちの世界のデジタル化とアルゴリズムへの還元は、容赦なく私たちを混乱させ、圧倒する変化の現代的なベクトルである。
デジタル経済はルールや、しばしば法律を侵害する。
さらに、社会と私たちを取り巻く現実の中で、最も安定し、強固であると思われるものすべてに疑問を投げかける。
『Doubles vies』は、新しい経済の仕組みを分析することが目的ではない。
その控えめな意図は、個人的に、感情的に、そして時にはユーモラスに、これらの疑問がどのように私たちを悩ませるかを観察することである。』

最近の子供の多くが(と勝ってな認識かもしれないが、また大人もかもしれないが)、本を読まないし、読んでも電子書籍とブログなどかな。
脚本家であり監督でもあるオリヴィエ・アサイヤスのこの今作品では、そんな議論が続いている。
伝統的なハードカバーの本とデジタル文学の論争が上映時間のすべてを占めていると思われないように、このような真剣な議論が、より伝統的なフランスのセックス茶番劇に包まれていることを知っておくべきであるが。
そして、それはとても面白いものでした。
ギョーム・カネが出版社のアラン・ダニエルソン役で出演している。
彼は顧客であり友人でもある作家のレオナール・シュピーゲル(とても面白いヴァンサン・マケーニュ)とランチミーティングをし、そこでレナードの最新原稿の出版を断る。
アランは、名前が変わっているにもかかわらず、物語に登場する実在の人物を特定するのは簡単すぎると主張する。
レナードは、この原稿は "オートフィクション "であり、自分の人生からインスピレーションを得て書いていると云う。
ジュリエット・ビノシュがアランの妻セレーナ役で共演し、ビノシュは数少ないコメディの才能を発揮できる映画のひとつをフル活用している。
ノラ・アムザウィはレナードの妻ヴァレリーを演じており、レナードの自尊心を高めたり、自信をつけさせたりすることを一切拒否する配偶者として愉快に演じている。
その代わりに彼女は、彼の批評家が云っていることを彼に思い出させることに多くの時間を費やしている。
このパズルの最後のピースは、アランが経営する出版社のデジタルトランスフォーメーション責任者を演じるクリスタ・テレであり、デジタル化を推進する絶え間ない扇動者だ。
今作品と登場人物を表現するには、フランスの真髄ちゅう言葉がぴったりかもしれない。
晩餐会では、会話は刺激的で知的やけど、私生活では誰もが誰かと寝ているよう。
ほとんどの登場人物が不倫を心配しているが、それは自分の生活の一部でもある。
非常に気の利いた4つのセリフで構成されているという点で、『非常にフランス的』な扱いを受けている今作品。
気の利いたセリフは頻繁に口にされ、特にレナードは、自分は普通の『気分の良い本』ではなく『気分の悪い本』を書くのだと云う。
そしてアランはレナードの最後の本を『最悪の売れ行き』と云う。
読者の減少、書籍対デジタル、ブログの人気はすべて、変化/進歩対伝統的な方法という世代間の議論に関与している。
本や図書館が過去の遺物であるかどうかは確かに有効なテーマやけど、コメディータッチの人間関係が、今作品を重苦しく感じさせない。
ビノシュは、テレビで演じた役が警官だと誤認される場面が繰り返し出てくるが、ジュリエット・ビノシュ史上初の画面上でのジョークかもしれない。
映画監督アサイヤスは、2008年の『夏時間の庭/SUMMER HOURS』で芸術鑑賞、あるいは現代における芸術鑑賞の欠如に取り組んだ。
今回は文学に目を向け、生き生きとした会話や不器用な人間関係など、ウディ・アレンやエリック・ロメールの作品との類似性を感じずにはいられない。
フランス語のタイトルは『二重生活』と訳されているが、これはより良いタイトルであるだけでなく、より説明的なタイトルでもある。
しかし、最後のクレジットに流れる『火星の人』」の歌の頃には楽しませてもらったと感じたかな。。。
ほとんどフランス流に。
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