新潟の映画野郎らりほう

記憶にございません!の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

記憶にございません!(2019年製作の映画)
2.5
【盲人もし盲人を導かば】


造営物ルーフバルコニーの高みから 下方に集う国民に向け暴言を吐く黒田(中井貴一) ― 先ずは上記場面を“記憶”しておきたい。


強固ペルソナに被われた政治家の本音だとか人柄/パーソナリティなぞ 解りようも無ければ 抑関係が無い事は、記憶喪失後に尚 首相を“演じ続ける”黒田は勿論、合衆国大統領(木村佳乃)の“大仰な立ち振舞い”を見ても自明であろう。

首相/大統領共同記者会見で大統領が見せる“本音”も、結局は“本音に見せ掛けた演技”かもしれず それは首相を演じる“素の黒田”も然り“素”である確証などどこにもない筈である。

依って実際上の政治家や報道に対しては その様な何ら当てにならぬ“人柄”に踊らされるのではなく、方策/手腕/結果に対する精査考察と 常に疑符を忘れぬメディア/ポリティカルリテラシーこそが求められるだろう。

実際上は扨措き、映画内人物の心証が本音なのか ―嘘をついているか否かは― 構図/モチーフの読解力/シネマリテラシーを有していれば容易に諒解出来よう。


前述したルーフバルコニー上に於ける黒田の暴言。最終盤、黒田は再びルーフバルコニー上から“国民を見下ろす”。

……黒田が本当に生まれ変わったのならば、彼は絶対に高みから降り“国民と同じ目線”に立たなければいけない筈である。
口先の刷新なぞどうとでも言える。だからこそ口先ではなく態度で示さなければ“人物の成長”は決して真に迫らない。

この男は根っからの口先“上から目線”主義者とゆう事だ。
自らの分身たる飼い犬(田中圭、実際に唸り吼える)を嗾けるところを鑑みても、その性分は1ミリも変わっていないどころか より狡猾と化している。

そんな政治家を持て囃す愚民。
盲人もし盲人を導かば。無知盲目同士突き進めば 破滅の淵も必定だろうに。
あらゆるリテラシーが欠落している。

民主主義に於ける“(選出)責任”を意識すらしない国民と衆愚政治。笑って済ませられる程 現状他人事ではないだろう。




《劇場観賞》