撲殺

いちごの唄の撲殺のネタバレレビュー・内容・結末

いちごの唄(2019年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

正直星0.1でいいぐらいの作品。

まず私は声を大にして言いたい。「銀杏BOYZファン舐めんな!!!」と。

この映画は主人公のコウタが中学時代の憧れの人、千日と偶然再会し一年に一回七夕の日に会う約束をする。そして会っていく事に顕在化する彼女のトラウマに向き合うという話である(端折りすぎて違う気がするけど別にいいや)。

まずダメなところ① 主人公がおかしい。
主人公のコウタ、彼はおそらく発達障害者だろう。今の時代そう珍しいことでは無いが、やはり相手の話を聞かず一方的に話し続けて自分の好きな物を押し付け続ける彼の姿をスクリーンで見続けるのはキツい。物語の主人公になっちゃいけない人間だと思う。見てて不快だから。ここまで来ると一年に一回しか会わないという千日の提案は体のいい厄介払いなのでは?と勘繰ってしまう。彼の話を笑顔で聞いてる千日は聖人だ。

主人公繋がりで言うと、主人公を演じる古舘佑太郎の演技も悪い意味で面白い。そういう演技をしろと言われてるのだろうが、全てが嘘くさい。オーバーリアクション。気持ち悪い。彼が千日の彼氏に殴られ折れた歯を「プッ!!」と大きなセリフ付きで吐き出したのには笑ってしまった。プッ!!ってデカい声出しながら歯を吐き出す奴は居ないだろ普通。くしゃみじゃねぇんだからさ。

ダメなところその②「童貞」を馬鹿にしている。
銀杏BOYZの楽曲において童貞ということは1つのテーマであると私は思う。「あの娘に1ミリでもちょっかいかけたら殺す」や「トラッシュ」などの楽曲は童貞(恐らく)の暴走した思考を表現しているのだろうし、「童貞ソー・ヤング」や「童貞フォーク少年、高円寺にて爆死寸前」などもうタイトルに童貞が付いているものもある(童貞ソー・ヤングは銀杏BOYZの前身であるGOING STEADYの楽曲だが)。このような楽曲を多く発表している銀杏BOYZのファンは恐らく"精神的童貞"が多いと思う。精神的童貞とは童貞でも童貞でなくてもどこか女性やイケてる奴らに対して鬱屈した思いを抱えている垢抜けない男共のことであると考える。またネットの記事では男女問わず"主に対人面での精神レベルや、対応レベル、耐性スキルが成熟していない人を指す"と定義していたものもあった。
コウタは劇中で早々に童貞を卒業する。しかしコウタはこの精神的童貞の定義に当てはまる。…すなわちコウタ=銀杏BOYZファン像ってことか?と映画を観て思った。と言うか私は観ててそう思った。と言うのも劇中でコウタも銀杏BOYZのファンになるのである。これでコウタが銀杏BOYZについて何も知らない、むしろ嫌いだったらただ気持ち悪い男が憧れの女に気持ち悪くアプローチするだけの話だったのだが、これじゃあ「俺らと同じ銀杏BOYZファンの気持ち悪い男が(以下略」になってしまっている。コウタは俺らの姿を移した鏡なのか…?俺ら銀杏BOYZファンはこんなに気持ち悪い奴ってことか…?と葛藤した。もし仮にコウタを銀杏BOYZファンの代表として写しているのならそれは大きな間違いでありファンをバカにしている。「お前らはこんなコミュニケーション障害の気持ち悪い奴なんだよ~!」と言っているということだから。

銀杏BOYZファンが皆劇中に銀杏BOYZの楽曲がしこたま使われていたり峯田和伸や銀杏BOYZのMVに出てくる麻生久美子が出てくりゃ無条件で喜ぶと思うなよ!「銀杏BOYZによる銀杏BOYZファンのための映画」にすらなってないわ!こんな銀杏BOYZを全面に出してるのに、銀杏BOYZファンが喜ばないなら誰が喜ぶんだよ!頼むからちゃんと作って欲しい。

ちなみに私は大の銀杏BOYZファンで、この映画も試写会に当たった知り合いに頼んで連れて行ってもらいました。しかし今のところこの映画は人生でぶっちぎりのワーストです。
内輪ネタにすらならないような映画だと思います。監督、脚本は反省して欲しい。
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