晴れない空の降らない雨

運び屋の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

運び屋(2018年製作の映画)
3.4
 あまり意識していなかったけど、トヨタが多かった気がする。気のせいでなかったら、それは意図的なものだろう。調べてみたら、本作の脚本家は『グラン・トリノ』の人だった。
 運び屋仕事の反復を主軸に、家族との関係性と警察側の動きが平行して推移していき、最後はきれいに合流する。そこは裁きの場。必要なだけのエンタメ性をもった無駄のない脚本のなかで、人種やジェンダーの問題にもさらっと触れつつ、イーストウッドは己の存在そのものでテーマを簡潔に伝える。1回目、2回目、と数えられていく運び屋仕事の反復と小気味よい省略法が、叙述をミニマルかつ映画的なものにしている。
 
 他に映画らしさを支えるのは、監督と主演がクリント・イーストウッドであるという、外在的な事実である。一日だけ咲く花が映画を意味するのは自明だろう。イーストウッドは例によってイーストウッドを演じており、彼のセリフも、ないがしろにされてきた家族も(実娘が娘を演じる)、彼が人生の教訓を与える捜査官も(B. クーパーが演じる)、すべてが隠喩ですらなく、スクリーン外の現実のトレースだ。
 
 自らへの有罪宣告。元スターの老人は、ある時代のある生き方を体現してきた自分に対する反省を提示する。それでも映画は、全体的にいって反時代的な頑固者muleとしての己を誇っているように見える。つまり基調をなすのは、男性の自己肯定である。そして驚くほど手つかずに保たれているのは、ミソジニーである。劇中の女性の扱いをみれば一目瞭然。
 ま、別にだからどうしたという話だが、随分と虫のいい和解劇だなぁとは思いましたね。