新潟の映画野郎らりほう

ウエスト・サイド・ストーリーの新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

4.5
【君を離さない、永遠に】


劇中頻出する鏡と それに準じる床面や水溜まり等の鏡写装置が、本作の“二面性 / 客観性 / もう一つの像”を表徴する。
ミュージカルにフォーカスしていた’61年ワイズ/ロビンス版に比べ、スピルバーグは 舞踏及び歌唱場面に於いても 過度に演者の身体性を焦点化せず、後景美術群にも細やかに配慮している印象だ。結果(延びる影法師の様に)より強く浮かび上がるのは“主題系”である(ヤヌスカミンスキーのキアロスクーロなキャメラアイ)。
鏡像の様に ― ’61年版と瓜二つながら、全く印象の異なるもう一つのウエストサイドストーリー。


『君を離さない、永遠に』-スペイン語で語られる愛の言葉。
ロマンティックなこの言葉も 鏡に写り込めば、そこには『永遠に呪縛し続ける』とゆう 恐ろしいもう一つの像を暗示していよう。

愛 / 誇り / 絆 / 結束 ~ 讚美され至上のものとされがちなそれらが有する“もう一つの像”の存在を忘れてはならない。

「プライベートライアン」や「シンドラーのリスト」で示された『死は 愛でも誇りでもなく 死以外の何物でも無い』とゆう即物性。
その“即物的死”を、スピルバーグは過剰に誇張されたミュージカル世界に残酷に提示する。そのコントラストが鮮烈だ。

愛を過度に崇拝/信用し過ぎる危険。対立とは 愛や絆、誇りを大義名分に暴走する。
『“死”は愛が昇華したものではないし、誇りとも等価ではない』-それを口にするのは 60年前にこの悲劇を既に経験した筈のリタモレノであり、唯 漫然と時を繰り返すだけであった私達の不学と、その結果 齢90の老輩に尚「永遠の呪縛」を課した事を痛切に恥じる。



終極の一応の希望に安堵しつつも、それが犠牲在りきである事に 私は二つに引き裂かれる ~ 観客各々の中の二面性 / もう一つの印象こそをスピルバーグは鏡写する。




《劇場観賞》