小松屋たから

テッド・バンディの小松屋たからのレビュー・感想・評価

テッド・バンディ(2019年製作の映画)
3.8
有名アイドルグループや、歌劇のトップスターは、ライブのステージ上や通路から、すべての観客が自分と目が合ったかのように思わせることに長けている、という話を聞いたことがあるが、テッド・バンティも、法廷だけでなく、テレビ画面に見入る多くの女性陣に、同じような「錯覚」を抱かせることができたスターだったのだろう。

一緒にするのは乱暴で危険かもしれないが、スポーツ選手、アイドルアーティストに過激すぎる熱狂的ファンがつくことがあって、カルトの信徒のように「教祖」を盲信し、その言動をすべて受け入れ、批判の目を向ける他者に対して極度に攻撃的になることがあるが、テッドも、ラスト近くに裁判長が語りかけるように、「善」の方向で生きていても多くの「信者」を得ることのできるはずの人物だっただろう。

ただし、善と悪の境界線など曖昧であり、結局は人間は人間の、他の動物たちはその動物たちの中の独自な基準でしか決められないことも事実。だから、カリスマ犯罪者は亡くなってもカリスマであり続け、これからも忘れられかけた頃にこうして劇映画やドキュメンタリーの中で蘇って、人間と他の動物たちとの差異を我々に不敵に問いかけてくるに違いない。

ヒロインの視点で描かれていく本作は、彼女と観客の心の揺れを同調させる手法が巧みで、犯罪実行の描写も少なく、テッドが真夜中にベッドで懐中電灯を使って自分の体を見ているなどの怪しい行動も「あれは違う意味」と、主人公が良い方向に脳内変換していくので、観客にも時にこの男は本当は無実なのではないかと思わせる。

加えて、主題はヒロインの「心の解放」であり、テッドの所業の真偽や、「なぜ、彼女のことは殺さなかったのか」などの疑問は脇に追いやって良いのだという割り切りが見事で、シリアル・キラーものとしては、新しい境地を観せてもらったように思う。

ただ、エンドロールで実際の本人たちの様子が映るのだが、短い時間ながら映し出されるテッドには、現実的な狂気が垣間見えた。映画の制作者たちは「再現度」の高さを誇りたかったのかもしれないが、自分にはそれによって、劇用のテッドはあくまで劇仕様であり、実際は、もっと異常性がさく裂していた人物だったかのような印象を受けてしまったので、あれは、熱演のザック・エフロンには少し気の毒な編集だったように思う。