日本で初めて公開されるモロッコの長編映画だとか。女性たちの過酷な運命をひたすら見せられるのかと思いきや、さにあらず。映し出されていたのは、社会の不条理に苦しみながら、それでも自分自身で人生の選択をしようとする芯のある女性たちの姿だった。フェルメールの絵画から抜け出してきたかのような佇まいの二人の女性、アブラとサミアは多くを語らずともその表情と仕草で、それぞれの境遇を切々と訴えかけてくる。背景音楽をほぼ使わない潔さが、ある時点で流される曲のインパクトを高め、町の喧騒とともに、観る者の心を揺さぶる。
宗教観や生活慣習を自分やその周囲と同じ基準で考えてはならないとは思う。日本や欧米諸国でも、形は違えど、生きていく上で様々な制約はあるわけで、善悪の判断を安易に全世界共通の価値観内で収めようというのは傲慢かもしれない。例えば、今、アフガニスタンで起こっていることが「不幸」かどうか決める権利はそこに住む人にしかない。
それは解っているけれども、やはり「なんとかしてあげたい」という気持ちは湧き上がる。しかし、結局、できることは何もなく、ただ、現実をニュースやスクリーンを通して知ることしかできていない。自分のなんと無力なことか。
でも、この監督は絶望はしていないようだ。人類普遍の良心は必ずどこかに存在すると信じているように思える。この映画に出てくる男性陣が決して高圧的でなく、特にアブラの生活力や容姿だけでなく、その意志の強さ、本質に好意を抱いている男の存在にそれが現れており、単なる抑圧反対だけではなく、ジェンダーを越えた連帯、協力、多様性の尊重を願う作品になっているところにこの映画の意味があると思った。