新潟の映画野郎らりほう

キングスマン:ファースト・エージェントの新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

3.0
【紳士の作法/映画の作法】


ネクタイを締め、靴紐を結ぶ ― 所作に依ってオーランド(ファインズ)の決意とする。
上記は紳士の作法であると同時に(言葉に頼らず所作行動に依って趣意を表出する)映画の作法でもある。

劇中写される“記念写真”もまた 映画(活動写真)から取り残される“静止画”としての悲しい運命を予感させるものであり、本作が映画の作法を謹厳に実践している事が伺える。
そしてそれもまた主人公オーランドの紳士の作法/平和の掟の厳守へと透過/共鳴している事に唸らされる。

ルール/掟/誓い ― それらに謹厳でありながら 最後にはそれを“打ち破る”。

最終極に於ける「映写中の映画を後景にした決闘」と「スクリーン(壁)の突き破り」。
謹厳な平和の掟の打破と 重層化する映画作法の破壊が 鮮烈だ。



〈追記〉
新聞や伝聞等でしか識る術が無く、誇りや憧れ 英雄伝説 夢物語として捉えていた「幻想戦争」が、塹壕/白兵/ガスマスク に依って 一気に「即物戦争」化する恐怖。
特に闇夜塹壕のガスマスクは 第一次大戦下の蹂躙/鏖殺に対する恐怖 ー鬼胎ー をも表徴していると言ってよいだろう。
その鬼胎も 一皮剥がせば、正義感故に参戦した自身と何ら変わらぬ善良な市民であるとゆう〈鏡像性〉も また酷薄極まる。



〈追々記〉
父と息子各々が共に 衝撃に依って画面右へ吹き飛ばされ倒される様が 高速度撮影で捉えられており、無論“対照”として機能する。

問題は 彼等の結果であるが、大事に到らぬ父に対し 息子の顛末が対照的である。
上記場面のみならず 本作では 息子が写実即物的要素を担い 父が非現実映画的要素を担っている。

その構図が、戦争とゆう実際の悲劇(息子)と、それを幻想の力で食い止めんとする映画(父)に思え、絶対覆せない歴史を 必死に覆そうと ー思い込もうとー する父(映画)の切なる願いに思えた。

映画に出来る事は、唯 願う事だから。




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