手塚治虫の同名の問題作である成人向けな漫画を、長男である、手塚眞が映画化。
美形な女~ばるぼら~都会の何千万という人間を飲み込んで消化し、垂れ流した排泄物のような女。
原作の漫画は未読です。ただし、火の鳥、ブラック・ジャック、どろろなどなど、手塚漫画はよく読んでいる。だから、手塚治虫的な意匠をこの映画に見つけるにつけ、手塚的作画に脳内変換して、楽しんだ。例えば、ウィスキーの直飲み、歩く人の影、毛先の長い犬、切断されたマネキン、そして、優雅な曲線を持つ蠱惑的な女体。
ばるぼら役の二階堂ふみが好演。美の象徴みたいな抽象的・記号的な役柄を見事にこなしていた。この映画に出てくる他の若い女優たちのように、顔・スタイルと、もっと美しい女性は存在するのだが、演技力はもちろん、彼女の様々な映画に於ける、潔い脱ぎっぷりの健気さが、ばるぼらに重なってくる。そして、当然エロい。
クリストファー・ドイルの暗くて艶のある映像。特に紫と緑が映えていた。二階堂ふみと稲垣吾郎が、浴槽の中、ダッチロールするが如くに戯れる姿を観るだけでも、劇場に来た価値はあった。稲垣吾郎が、影の様な存在なので、ばるぼらがより、輝いて見えた、配役の妙。
ただし、この映画はカルト映画と呼ばれるような素材を有してはいるが、何かしらパンチが足りない。狂気というか、スパイスというか。ばるぼらはうたかたの様な存在なのだから、軸となるハズの稲垣吾郎に、もっと、リアリティのある陰影の描写が欲しかった。或いはもっとシュールに。手塚眞の育ちの良さが逆目に出たと思う。
そして、そもそもですが父親の原作漫画を、息子が映画化するのもズルいっちゃズルい。芸術とスポーツは、実力主義でお願いします。更には、父親の性的な作品を息子が映画化ってキショいっちゃキショい。
しかし、だからといって、この作品を否定もしたくは無いのです。ラストの辺りの別荘でのシークエンスの真摯な描写は、齢(よわい)60歳になる、手塚眞監督の最後の映画になるかも知れないという、気迫が溢れていたから。
愛とは、血と肉の産物
悪魔的儀式(『アイズ・ワイド・シャット』)と、緑の中を赤い車が駆け抜ける様を俯瞰から撮る(『シャイニング』=『ブレードランナー』)描写は、キューブリックを彷彿とさせる。
手塚治の作風も、彼に似ていて、人類の進化と、ささやかな日々の営みと、未来を天上から観察する様な感覚。キャメラマン由来かどうかは、分からないが面白い、アイデアである。
また、手塚治虫がスランプに落ちいり、悪戦苦闘する様子を描いた、NHKのドキュメンタリーを過去に見ているので、ばるぼらとは、『8 1/2』的だと思った。フェリーニ♪
ここまで、書いて、原作の『ばるぼら』を検索してみたら、その表紙の見事さ、小さな身体に西洋風な顔立ちの、ばるぼらに、完全に魅了されました。此れだけで映画と二階堂ふみを超えている。多分、傑作なのでしょう。読むよo(^o^)o
天才の息子も、大変なのでしょうね。
まぁ、あとは、『空気人形』の是枝裕和監督が撮ったらどんな感じなのかを、想像して楽しんだ。