草原の輝きの作品情報・感想・評価・動画配信

「草原の輝き」に投稿された感想・評価

地獄の朗読を強要したあのババァが最大の戦犯だったように思う。とはいえこの青年達のメンタルの弱さも中々のもので、あの繊細さの欠片も感じない強引なヒステリックっぷりには流石に感情置いていかれた。というかこの頃のウォーレン・ベイティがジェームズ・ディーンに似過ぎだし、なんならカザンはそこ狙いでキャスティング&演技指導しているような気もする。
ys

ysの感想・評価

3.5
ゾーイのお祖父ちゃんエリアカザン作品。
滝の前でイチャつく美男美女バッドとディーニーが、
ウォーレンベイティとナタリーウッド。
ウォーレンベイティはシャーリーマクレーンの弟くん。
親が厳しい。
バッドの姉ジニーは自由奔放。
ディーニーのママが、
キャリー🎬のママのにこやかバージョン。
ディーニーの我慢が限界に。
プラ〜イド!プラ〜イド!(自尊心)
からのダ〜イ!ダ〜イ!(死)
はラ〜イムですね。(韻)
バッドのパパの展開は読めちゃう。
ナタリーウッドが美しくて、
切ないラブストーリーでした。
ゾーラランバートも印象的。
草原より滝のシーン多めです。

タイトルのSplendor in the Grassは、
ウィリアムワーズワースの詩の一部。
慕情🎬の原題で主題歌、
Love Is a Many-Splendored Thing♬が脳内で流れます。
映画は覚えてないけど名曲。
tsumumiki

tsumumikiの感想・評価

4.0
ナタリー・ウッドがピュア。そのひたむきさに心動かされていく。美しく切ない青春映画。前向きな終わり方が良かった。
ten

tenの感想・評価

3.2
たしか「グラス・ハープ」で「エンパイアステイトビルから飛び降りる時は傘をささねばならない」みたいなセリフのある映画への言及があって(確かグラスハープなんだけど違う可能性はある)大恐慌に晒されて人生ままならなくなって自殺する作品いいなと思ってこれを借りたんですが予想と違かった。私の頭の中で出来上がっていた予想がなかなか良かったのでこっちは肩透かしみたいになってしまいましたが作品に罪はないです。好きな人沢山いると思います。ただ人生ままならなくなって自殺するストーリーへの欲求は不完全燃焼のままたゆたってしまっている…鬼火を観ようかな。
ekn

eknの感想・評価

4.5

このレビューはネタバレを含みます

一年ぶりに再見。
少しは心の余裕ができたはずだと思って挑戦してみた。やはり苦しい。
男に対して抱く欲望を「妻の努め」と誤魔化すことが、娘の精神にどれほどの負荷がかかるのかを想像することができないばかりか、‘’その人‘’ではなく金の話ばかりする母親。自分が果たせなかった夢を全て息子に丸投げして、彼の心情を少しも考えてやれない父親。親子という関係性をスパッと断ち切れないもどかしさと、理想主義を蝕んでいく現実に対して、若者は無防備だった。親子愛や若さへの一般的な価値を転倒させていく。
「私はいい子 私はいい子」
「あなたは健康体よ」「前も治った 今度も治る」
「バッドの時と違いますけどー愛しています」
今の自分が幸福かどうかなんて考えてもいなかったって言われたら、そりゃあの表情になる。本作を外側から観られる人たちが心底羨ましい。幸福だろう。
胸くそ映画でよく挙がる作品の比じゃない心苦しさがずっと残る。
「死ぬまでに観たい映画1001本」ナタリーウッドがとても輝いている。大恐慌時代の設定で今の時代とは時代背景が大きく異なるが、そんなことに関係なく傑作と思った。
S

Sの感想・評価

3.5
今の私と同年代でこの映画を見たときは泣いたという母
私はそこまでの背景を考えるとバッドとディーニーの結末は確かに切なくはあるもののそこまで悲劇的ではなく、少しありきたりだと感じてしまったので、同じく10代だった母との感じ方の違いに驚いた

物語の主軸である恋愛面ではどのキャラクターにも共感できなかったものの、我が子の将来をコントロールしようとするバッドの父親や精神病院に入院したディーニーが「普通」であることを求めた両親など親子関係の観点からは現代の日本と似ていて共感できる部分も多くあり、この映画で描かれている1920年代の親子像から、2021年現在の日本でも頻繁に見られる親子の関係性がそれほど進歩していないことも衝撃的だった

比較的「居そう」で自己投影しやすい、いい意味で「普通」な役者さんが求められる現在の映画と、圧倒的な美男美女であるナタリー・ウッドとウォーレン・ベイティが主演として起用されたこの時代の映画の在り方とではかなり違ったのだろうなと考えさせられた
1975年 劇場鑑賞…
エリア・カザン作品
リバイバル上映で見ました。
2人の主演が、瑞々しく新鮮でした。
教育って難しいなぁ。純粋に我が子のことを思ってあれこれと口出しをするけど、全て裏目に出てしまう。バットは男としての成功を期待され、ウィルマは女としての貞操について戒められる。どちらも親のジェンダー的な価値観を押し付けられている。抑圧され続けた子供は、無気力や精神異常をきたし、飼い殺し状態になる。この辺は陰鬱な印象を受ける。

しかし、どちらの親も当初は自分の行為を当然ながら正しいと思っている。だから、我が子の問題の原因を外に求めようとする。それでも、終盤の振る舞いから、自分の育て方に自信を失くしたことがわかる。にもかかわらず、やはり過干渉になってしまう。こうした親の態度を責める気にはなれないのは、一人の人間として苦悩している姿が描かれているからだろう。

全体としてディスコミュニケーションが貫かれ、世界恐慌の時代という背景も相まって陰鬱な空気が漂っているものの、ラストは良かった。汚れた作業着と純白のドレスが、二度と交わることのない彼らの人生を表している。ウィリアム・ワーズワースの詩が味わい深く、希望を感じさせてくれる。「草原の輝き 花の栄光 再びそれは還らずとも 嘆くなかれ その奥に 秘めたる力を見出すべし」。青春の日々は戻らないけれど、その経験は、いまを、そして未来を生きる力になるのだ。
名作ですね。中流家庭の娘ディーンと石油成金の息子バットは美男美女カップルです。高校の廊下を2人が腕を組んで歩く場面は、恋する乙女そのもの。ナタリー・ウッドがキラキラして美しい。でも、ディーンの母親とバットの父親の価値観を押し付ける過干渉の結果、破局を迎えてしまいます。バットの放縦な姉がパーティの席で乱れる場面で、バットに自分の思うように生きないと後悔するよと予言していました。彼女が毒づいているのはビクトリアニズムに向けたものです。ディーンは失恋の苦しみから精神病院に入り、2年半の療養の後、バットに会いに行きます。この場面で、ワーズワースの詩が活きてきます。(ヒロインは高校の時、この詩の意味を問われて答えられなかったのです) 詩の意味がわかった彼女は心からの笑顔と共に去っていきます。
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