新潟の映画野郎らりほう

天気の子の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

天気の子(2019年製作の映画)
3.3
【死瞬気】


別に曇天なのは東京ではなく、また 少女に依って好天化されるのも街の空ではない。
全ては少年:帆高自身の疑懼/心の曇りであり、彼が道行きを確信したからこそ少女:陽菜=陽光は慶賀する。

降雨曇天下を僅かな陽光求め自転車を駆る帆高 ― その図を見れば彼が『漠然とした不安から光を希求』している事は瞭然であり、家出の明確な理由語られぬのも この『思春期の漠然とした不安』こそを顕示するが故に他ならない。
その事が本作を普遍たらしめる。


『死の欲動』たる貨客船暴露甲板上の蹌踉めきと落下。『リビドー/破壊衝動』を表徴する拳銃。
その何れに於いて、帆高の腕を掴み制止するのが須賀だ。
大人として実に常識的且つ現実的な行動である。
『理性』なのか ―そこに打算/妥協(義母/警察への対応)はないのか― 。

仮にも超常関連に携わっておいて、常識第一義の打算/妥協塗れたツマらぬ大人にはなりたくないものだ。

現実/常識の尺度に囚われ 事象を一義的にしか捉えられぬ者は、それが自身の理解の範疇を越えた時に『有り得ない』『ツッコミどころ』云々を逃げ口上に使う。理解力乏しきツマらぬ大人にはなりたくないものだ。

もう逃げるなよ ― 本当の現実から。

現実/常識を重要視する余り 打算/妥協に逃げ、結果 皮肉にも自らが最も現実と乖離する。

彼は ―映画は― 自分自身に他ならないのだから。



〈追記〉
破壊衝動。直情径行無責任。田舎から街へ。途方も無き高度へ舞い上がった後の急速降下 ― 垂直構造。水のモチーフと祖霊信仰/祭祀。
風韻こそ大きく異なるものの、真利子哲也「ディストラクションベイビーズ」との共通項も汲み取っておきたい。




〈劇場観賞〉