ベイビー

天気の子のベイビーのネタバレレビュー・内容・結末

天気の子(2019年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

この作品のCMがテレビで流れ出したころから、ずっと「愛にできることはまだあるかい」というフレーズが気になっていました。ただ単純に「愛にできること」ってなんだろう? と、疑問を感じてしまったのです。

歌詞の全容も知らないまま、僕は勝手に「愛を尽くしても尽くしきれない」という意味かと解釈していて、溢れる思いを優しさで包んだ綺麗な言葉だと納得しました。

しかし、そのように解釈しておきながら、僕の中でモヤモヤが残りました。「この人はどこまで愛を注いだのだろう?」という疑問です。どこまで愛を尽くせば、こんな言葉が出てくるのだろうと疑念を感じてしまったのです。

その答えはこの作品にあると思いました。「君の名は」に続き、新海誠監督× RADWIMPSさんがタッグを組んだ作品です。何かしら答えはあるはずです。

今日は半ばそのモヤモヤの正体を知るため、少しでもモヤモヤを解消するために作品を観てきました…

いざ蓋を開ければ16歳の少年の物語。序盤から主人公の帆高は幼さ全開で、とても"人を愛し尽くす"と言えるほど、人生経験豊富な人物ではなさそうです。

そんな帆高は陽菜と出会い、やがて惹かれていきます。綺麗な恋の物語です。

この作品の序盤はたくさんのことを願っていた気がします。帆高が食や住む場所を願ったりだとか、陽菜が晴天を願ったりとか…

ですから僕は「愛にできること」とは、"願うこと"なのかと想像ました。作品の中で「天気が晴れれば心も晴れる、だから晴れの日を願うんだ」という帆高のナレーションでアオハルっぽい言葉が連呼されたとき、"願い"というワードが気になりだし「愛にできること」の答えとして当てはめてみたのです。

うーん、でもしっくりこない。やはりモヤモヤは消えません。たとえいくら強く願ったとしても、現実世界では願いが叶わない方がほとんどです。もしこの物語が「愛が強ければ強いほど願いが叶う」というご都合主義なまとめ方をしたいのならば、それこそ稚拙な物語です。"愛"云々を意識してまで観る必要はないのかも知れません。

そんな感じで僕が眉をひそめていた時、帆高はある言葉を口にします。

「神様お願いです。もうこれ以上、何も足さなくても、何も引かなくてもいいから、ずっとこのままの僕らでいさせて下さい…」

この不意に訪れた言葉は、僕の違和感に対するの答えとなりました。

愛はそもそも願うものでなければ、足せるものでも引けるものでもありません。愛は形を変えずそこにたたずむだけです。大切な人を想うとき、大きな塊となって心の底にどっしり構える存在なのです。

「愛にできることはまだあるかい」
「僕にできることはまだあるかい」

ただ、愛のために唯一できることは"信じる"ことです。帆高や陽菜が感じたように、たとえ世界の形を変えようとも、その愛を信じ抜くことです…

愛が何かをするのでなく、愛の力が人を強く動かすのです。愛を信じることで、人は強くなれるのです。

僕が感じた最初の違和感の答えはこんな感じでまとまりました。このレビューはあくまで今作の考察やRADWIMPSさんの歌詞を解説したのではなく、僕が感じた違和感の解消です。ご了承いただきますと幸いです。

やはりさすがは新海監督、絵が綺麗ですね。あの綺麗な映像をIMAXで観れて本当に良かったと思います。

作画や背景の描き込みがとても丁寧で、一つ一つの筆にアニメーターさんの心が感じられます。僕は名古屋在住なのですが、東京の街並みの確かさは感じられますし、終始見られる雨の表現がお見事でした。

画角の隅から隅まで一秒一秒、手を抜かない仕事ぶり、やはり日本のアニメは最高です。
日本のアニメーターさんは日本の宝です!

これからも良い作品を生み続けてください。
心から楽しみにしております。
ベイビー

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