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黒い司法 0%からの奇跡のkuuのレビュー・感想・評価

黒い司法 0%からの奇跡(2019年製作の映画)
4.8
『黒い司法 0%からの奇跡』(Just Mercy)は2019年の米国映画。
内容紹介の前に気になることがあります。
邦題の『黒い』ってのはアフリカンアメリカ(日本語じゃ多くが黒人と訳すこれ自体、差別か否かは問題じゃないけど)だからなんかなぁ?
それか、司法自体がグレーじゃなく真っ悪やし『黒』なんか。
兎に角『黒』て連想するんはプラスイメージてのは少ない気がするし、人種差別(貧困差別)に異議を問う作品のタイトルに
『黒い』ちゅう形容詞を用いるセンスが小生には分からないし、勝手な推測を与える悪しきパータンかな。
原題から大きく変更されとる邦題を『わかりやすくてよい』とすっか、『作品の本質を損ねている』か、てのは対立しがちやと思う。
以前、学生主体の
邦題『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(2018年)
の鑑賞とディスカッションにフラッと寄った際に、小生が投げ掛けた同じ問いにも賛否両論やったかな。小生は
原題『Darkest Hour』でエエんちゃうかと思ったけど、まぁ、この作品はまだ許せる。
あと、邦題『ドリーム』(2017年)
原題『Hidden Figures』など枚挙に暇がない。
『チョイどないやねん邦題』
そのあたりはもっと考えた方がええんちゃうかと思いましたよ。
原題の『Just Mercy』(ダブル・ミーニングで、一つの意味は『ただ慈悲のみ』、もう一つの意味は『公正な慈悲』)のままでも良かったんちゃうかな。
デスティン・ダニエル・クレットン監督は日系アメリカ人やし、当然、この邦題を見たはずやのになんもいわんかったんかな。
余談が過ぎましたがお話は、
あ!もう一点あった😃
日本でも差別を無くそうって言葉が声高く叫ばれつつあるけど、日本ではいまいちピンってこないかと思います。
仮にある殺人事件があったとします。
検察側、弁護士側が50対50フィフティフィフティと云うよりも、少し弁護士側に有利な証拠が提示されたとします。45対55かな。
判決は有罪か否かの決定的証拠はなし。
被告人が、
品行方正な方と、
素行不良(裁判では被告人の過去を赤裸々に証拠資料として提出されます)だった方と果たして同じ判決が下されるでしょうか?
また、連日、メディアが被告人をあたかも犯人と決めつける報道が散見されてる。
報道のみで、民意が勝手に有罪の烙印を押してしまってる事件なら、裁判官は公正な判断は出来るでしょうか?私はある被告人たち(今は死刑囚になられてますが)と手紙をやり取りや、交流(小生の作品で手紙を頂いたり)していた経験がある上で感じるのですが、裁判官も人の子である以上、かたよったメディアの報道を明らかに見てたり、民意に忖度した判決を下していることもあると感じてました。
たしかに犯罪は許されることじゃないけど、実際に普通に暮らしてても、防犯カメラなどの死角だったり、目撃者皆無(目撃者も得てして記憶違いを訂正しなかったり捏造してしまうこともある。これは正しいことをしてるって感じてるから故に生まれる行動やし、こちらも理由は理解できるけど)の場所での事件や、交通事故でのどちらの過失かなど争いの答えを人(簡易でも)に委ねなくてはならないことが生じる。
だから、決して他人事ちゃうかなぁと。
扨、長くなりましたが🙇‍♂️お話は、
法学部の学生やったブライアン・スティーブンソンはハーバード大学に在学してるとき、死刑執行を控えた囚人たちを訪問して、話を聞くインターンをスタートした。
そこで彼はアメリカでも特にアフリカ系アメリカ人(今回はあえて黒人と書くのは差し控えます)差別のひどい南部のアラバマ州では多くのアフリカ系アメリカ人がまともな弁護士を付けてもらってへんことを知る。
そないな人々を救おうと卒業後ブライアンは地元を離れてアラバマ州に拠点を移す。
彼に手を貸してくれたのはエヴァだった。
ブライアンとエヴァは、
『イコール・ジャスティス基金』てのを立ち上げ、死刑囚を訪問することにした。
すっとその多くは不当な裁判を受けとって、平等とはいえへん扱いの下で判決を受けたことを知る。
特にジョニーDとして知られとるウォルター・マクミリアンをめぐる殺人事件の捜査や裁判は、あまりに杜撰やった。
ウォルターは物的証拠もないまま、ある囚人からの疑わしい自白だけを基に有罪判決が下されとった。
ウォルターの無実を確信したブライアンは、彼が無実である証拠を集め、裁判のやり直しを訴えるために動き出すも、それを良しとしない警察、検察、地元の住人たちから執拗な嫌がらせや脅しをかけられることになる。。。てな感じです。
原作もふまえて、この作品はで考えさせられることが多々ありました。
犯罪者が目を覆いたくなるような悲しい過去を経験していること。
容疑者のバックグランドある辛い現実てのがあったり、
そして、こうした悲しい過去を一切考慮せず、容疑者に対して死刑宣告を下すケースがあまりにも多い。


ネタバレに抵触しますのでよろしくお願いいたします。
また、冤罪を勝ち取り刑務所から釈放されたとしても、元・死刑囚の社会復帰は極めて難しいということです。
死刑囚として長年刑務所に拘留されていた人てのは、たとえ釈放されたとしても、死刑にかけられるような幻覚や幻聴を感じるようになったりで、以前と同じ生活を送ることが困難である。
この作品のジョニーDも冤罪を証明し釈放されたけど、後の釈放後に認知症を発症し、不安感や幻覚に悩まされていた。
日本でも、残虐な殺人事件が報道されることがあるけど、容疑者がどのような精神状態であったのか、彼らを取り巻く環境はどのようなものであったのかについて、厳密に議論されてへん。
光市であった某事件でも彼とのやり取りの中そうかんじました。ただ、犯罪事実は許せませんが。
作品でも描かれてる、容疑者の環境や心について一切考慮せずに彼らを糾弾するてのは、偏った正義がまかり通ってしまう要因になりかねないと、小生も訴えたい。
kuu

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