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たちあがる女のkuuのレビュー・感想・評価

たちあがる女(2018年製作の映画)
3.8
『たちあがる女』
原題 Kona fer í stríð/Woman at war
映倫区分 G
製作年 2018年。上映時間 101分。
長編デビュー作『馬々と人間たち』で注目を集めたアイスランドのベネディクト・エルリングソンが監督・脚本を手がけ、合唱団講師と環境活動家という2つの顔を持つ女性が養子を迎え入れる決意をしたことから巻き起こる騒動を、ユーモラスかつ皮肉たっぷりに描いたアイスランド・フランス・ウクライナ合作ヒューマンドラマ。

風光明媚なアイスランドの田舎町。
セミプロ合唱団の講師ハットラには、謎の環境活動家『山女』というもう1つの顔があり、地元のアルミニウム工場に対して孤独な闘いを繰り広げていた。
そんな彼女のもとに、長年の願いであった養子を迎える申請がついに受け入れられたとの知らせが届く。
ハットラは母親になる夢を実現させるため、アルミニウム工場との決着をつけようと最終決戦の準備に取り掛かるが。。。

アメリカ映画やったら、アメリカのエートス(慣れた場所や故郷のことであり、そこから派生する集団が遵守する慣習や慣行)に従って、個人的なヒーローの姿が最も重要なロールモデルとして設定されている。
初期の映画から今日に至るまで、その例は枚挙にいとまがなく、代表的なものでは『エミール・ゾラの生涯』(1937年 )、『『スミス都へ行く』(1939年)、『ハーヴェイ・ミルク』(2018年)などが思い浮かぶ。
これらは無限にあるリストのほんの一例にすぎない。
1979年こサリー・フィールド『ノーマ・レイ』や2000年のジュリア・ロバーツ『エリン・ブロコビッチ』のような孤軍奮闘する女性は例外中の例外かな。
しかし、ボブ・ディランがかつて歌ったように、The Times Are-A-Changin'
(時代は移り変わる)。
腐敗したシステム(この場合、アイスランドの環境と人々を脅かすアルミニウム会社)が、主人公(白人ヒーローのコピー)を活動家に仕立て上げ、最初の戦いで勝利を収めた後、厳しい反撃に遭い、最後にはすべての過ちを正して勝利する。
今作品にプチ惹かれたのは、この物語がアイスランドの珍しい風景の中で描かれていることやった。
驚きはなんと大きかったことか。
というん、最初のショットの時点で、今作品が型にはまった物語ではないことは明らかだったからす。
50歳の女性が弓を引き、高圧送電線に向かって矢を放つシーンから始まる映画が他にあるだろうか?
それだけでなく、アルミ工場周辺の供給をショートさせることに成功する?
そう多くはないはず。
古風な武器を使った女性による有害なモダニズムに対するこのような攻撃が、この空想的でまったく予測不可能な映画の基調をなしている。
この刺激的な序曲をきっかけに、想像力、サスペンス、笑い、が楽しげに追いかけてくる。
息もつかせぬシークエンス(車、犬、ドローン、ヘリコプターに追われるハラ)、絶え間ない驚きとひねり(あるシーンを見ながら、その後に何が起こるかを想像するのは不可能)、予想外のトーンの変化(地下の戦士はアマチュア合唱団の指揮者でもある)、一風変わったアイデア(ハラ、氷水から救い出されたのは。。。)。
アクションからの切り離し(常に存在するブラスバンド)、抑えがたい喜劇(貧しい外国人の度重なる災難)。
同時に、同じ映画で、非常にシリアスな社会的・政治的論評(取り上げられたトピックの中には、汚職、コミットメント、環境、人類の未来がある)も得られる。
そして、この最後の側面は悲観的であり、苦味と絶望に近いものでさえあるが、脚本家兼監督のユーモアのセンスと語り口によって常に緩和されている。
今作品ではハルドラ・ゲイルハルズドッティルが、決してナンバーワンになろうとはしない、同郷の素晴らしいキャストが出演していることも、非常に好意的な評価です。
全体として善き映画であり、芸術、娯楽、内省を融合させることに成功している。
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