ま2だ

たちあがる女のま2だのレビュー・感想・評価

たちあがる女(2018年製作の映画)
4.3
たちあがる女、観賞。

合唱団講師と、地元のアルミニウム製造会社に対して過激なテロ行為を続ける環境保護活動家、二つの顔を持つ女性の物語。アイスランドの美しい自然を舞台に、異なる価値観の対立が巻き起こす悲喜こもごもを描く。

講師と過激派環境保護活動家、国益追求と環境破壊、破壊活動と養子縁組、そして双子。物語に幾重にも張り巡らされた二重性にまず惹きつけられる。長年絶妙に均衡を保っていたこれら対立構造が、養子申請の受理という進展から大きく崩れ始める、というプロットがなんとも上手い。

この対立構造に明確な善悪が割り振られていないことも特徴で、企業に対して孤独な戦いを挑む主人公ハットラの姿はユーモラスでありながら過剰に先鋭的で、100%賛同できかねる、という落とし所になっている。

彼女の行う正義は共同体においては悪であり、モラルという概念をどこに置くかによってその評価が変わる類のものだが、そういった二重性を内包したヒロイン像を、ぼやけることなく映画内に確立させているのは、監督の手腕と演じるハルドラ・ゲイルハルズデッティルの力だろう。

ここでのハットラはその二面性を以ってダークヒーロー的であるともいえ、その意味でハリウッド産アメコミヒーロー映画が直面を余儀なくされる、正義の行使に伴う責任の所在、というテーマをごくごくローカルなご近所レベルで体現している。

映画は後半、ユーモアを超え意外やイーサン・ハントばりのサバイバル展開になだれ込むのだが、そこでハットラを執拗に追うのがドローンというのも面白い。牧歌的な雰囲気にそぐわない存在だが、対話不能なものに空から追い詰められる主人公の姿は、新たな価値観、新たな時代の局面との遭遇のメタファーなのかもしれない。

本作ではBGMを担当するバンドと可愛らしいウクライナのクワイアが劇中にそのまま登場し、その場で演奏するという演出がなされている。物語が進むと彼らの奏でる音楽はハットラの心情とリンクし、彼ら自身が演技すら始める。演奏者が音楽と映像の関係を越境するこの感覚はクストリッツァ的で心楽しい。

更に、このポータブル移動式ギリシャ悲劇状態の演出は、作品の寓話性を強める効果がある。寓話とはつまり、あるテーマに沿って編まれた物語である、ということだ。

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「バードマン」でも音楽担当のアントニオ・サンチェスが劇中の通路に登場し、ドラムを叩くシーケンスがあったが、それを全編にわたって敷いていると言えるだろう。

モラルと引き換えのトリックもありつつ、紆余曲折を経てたどり着いたラストシーン、ハットラ「楽団」と化した一団が静々と増水した河を渡るシーンは、本作にしか到達し得ない、モラルに対する落とし前も感じさせる美しい名場面だと感じた。

ジョディ・フォスターがリメイク権を獲得したと言われている本作だが、個人的には規模や撮り方など、邦画でこそリメイクすべき内容であるように思う。たとえば辺野古と島唄の組み合わせにアレンジすることで、対立する価値観と外部からの視点、その関係性をフィクションの力を借りて可視化できると思うのだけれど。
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