せーじ

薄暮のせーじのレビュー・感想・評価

薄暮(2019年製作の映画)
1.3
184本目。

【はじめに】
彼の事を知ったのは3年前の年末の事だった。
当時、自分もハマった「とあるアニメーション映画」を褒める姿を、ネットの生配信番組で見たのがきっかけである。
へぇ、この人「ハルヒ」や「らき☆すた」の監督さんだったんだ…すげぇな…と思いながらTwitterアカウントをフォローしたのだけれども、すぐにそれだけではない過激な姿を観ることになってしまった。また、過去つくられた実写映画の評判も悪いことがわかり、その作品の映画評を聞いて、それもまたやむなしかなとも思ってしまった。ミュートボタンに手が伸びたのは言うまでもない。

そんな彼が「東日本大震災」をテーマに「クラウドファンディング」を使って、福島県を舞台にしたアニメーション映画を作るという。

明らかに、あの時彼が褒めていた「とあるアニメーション映画」の二番煎じをやろうとしていたのが見え見えだった…ように思えたのだが、いやいや待て待て、と。作品を観ないで叩くのはフェアではないじゃないか。ここは作品が完成するまでじっと見つめ続けよう。そして公開されたら絶対に観に行こう…と思って、ずっと動向を見つめ続けていたのだ。

今日、その日がやってきた。
さきほど池袋のシネ・リーブルで鑑賞をしてきたのだけれども、正直なところ、自分の嫌な予感は的中していたと言わざるを得ない。

(※以下、ネタバレをガンガン織り交ぜながら叩きますのでご了承ください)



大きく分けて三つの問題点があると思うので箇条書きにします。

【その1:そもそも物語自体に何のひねりも工夫もない】
この作品、要約すると「福島在住のバイオリンを弾く女子高生が、画を描く男子高校生と知り合って交際をはじめる」だけなんですよね。それ以上の物語的な進展や登場人物の成長などがほとんど描かれません。季節は、稲穂が揺れる描写があり文化祭があることや主人公たちが冬服を着ているところから推察するに9~10月くらいだと思われるのですが、何年の何月なのか(震災が起きてからどれくらい経ったのか)などの時系列の説明などが全くされないまま、唐突に終わってしまいます。一応文化祭でうまく演奏出来たり、最終的に相思相愛になるという"達成"は描かれますが、達成したことによって彼らがどうなるのかが全く描かれていないのです。
「え、だから…?」となってしまいました。

【その2:嫌悪感をもよおしたくなるような演出】
基本的には、主人公である一人の女子高生の視点で物語が進むのですが、全体の半分くらいの場面で主人公によるモノローグを入れまくって、細かくその場の状況や自分の思ったことを説明していくという信じられない方法で状況説明をしていきます。映画的に画やアクションなどで説明する気が全く無いんですよね。
しかもやたら腰回りや脚をアップに写すようなカットを入れてきたり「ヤリチン」や「私生理だから…」という文言をわざわざ彼女たちのセリフやモノローグの中に入れてくるのです。あまつさえ、あるくだりでは主人公が何の意味もなく自分の寝室で全裸になります。
ファンに対する目くばせなのかわからないですけど、作り手の遠慮のないエロ視点が何の効果も生み出さないまま放り出されています。行儀よくしろと言うつもりは無いですが、作品から想起されるイメージとはあまりにかけ離れている様に思えてならなかったです。

【その3:薄すぎる"震災"の取り扱い方】
最も罪深いのはたぶんこれでしょう。そういう作りなので、震災や原発問題をどう取り扱うのか、というのも全く具体的ではありません。
もともと帰宅困難区域に住んでいて、震災と原発事故によって避難してきた男の子のことを主人公は好きになるのですが、そこからどう話を展開するのかということを全く描いていないので、主人公や彼の想いが全く伝わってきません。別に福島を舞台にしなくてもいい話なんじゃないのかこれ…と思ってしまいます。例えば「住んでいた街に戻りたい」という葛藤が彼にあるのかというと…ですし、主人公の彼女も震災のどういうことが原因で落ち込んでいたのかもわかりません。
それに、彼を気になりだした主人公は、ひょんなことから彼に「好きだった人」がいたことを知るのですが、知った日の夜に主人公が夢を観るのです。その内容の意味が全くわかりませんでした。えっ?それって「彼が住んでいた街に戻って欲しくない」ということ?なんでそこで原発が出てくるの??みたいな。
ここは本作において非常に重要な部分だと思うので書き続けますが、被災前の生活とその後の現在とを天秤にかけるような作劇は、しっかりとしたロジックと考え方が幹として貫かれていないと、とても危険で排他的な考え方と結びつきかねないと思うのです。しかも彼が震災と原発事故によって避難しなければならなかったことについてどう思っているのかは、ハッキリと描かれていないので、結局のところ天秤を揺らすだけ揺らして、核心の部分には触れないという、とても中途半端なプロットになってしまっています。
そんな程度の取り上げ方しかしないのか、する気が無いのか、する覚悟が無いのか…と思ってしまいました。
これでは"震災"をきちんと扱っていないのも同然ですよね。


これは自分の勝手な想像ですが、個人的には「とあるアニメーション映画」を強烈に意識したつくりだなと思ったりもしました。クラウドファンディングなどの手法もそうですし、「運命の人を見つける・見つけられる」というプロットも似ています。「あの作品の様に取り上げられた地域とのつながりを築くことができればいいんじゃない?ていうかあれみたいに築きたいよなぁ…」と思って作ったんだろうなぁと邪推してしまいますが、実際にはまったく上手く出来てねーから!!と言いたくなること受けあいな作品になっております。
映画作品としては一時間足らずの作品ですが、三年も待ってこの出来と言うのは…とても納得できる内容では無かったです。

期待していただけに、非常に残念です…
せーじ

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