小松屋たから

劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さんの小松屋たからのレビュー・感想・評価

4.0
不覚にも今年の邦画の中では、一番泣いてしまった…
これは困った 笑

ゲーム依存などが社会問題となっている今、この作品を観て心が動かされて良かったのかという戸惑いはある。映画というよりはオンラインゲームのイメージアッププロモーションであることもよくわかっている。そして、実際は仮想空間内でもこんなに「良い人」ばかりではないだろうことも想像はつくし、ゲームの中で得た体験が現実の仕事に影響を与えることもそうそう無いだろう。

けれども、自分は泣いてしまったのだ。オンラインゲーム、恐るべし。

仮想空間内の絶妙にぎこちないキャラクターたちの動きが、実際の人間関係のぎくしゃくを反映しているようで、それは可笑しかった。一方で映像の迫力や世界観の広がりは相当なものがあり、素直に驚かされた。ここまで進歩してるんだ… 

実はやったことが無いのだが、きっと自分は始めるとハマるタイプの人間だという自信がある。まずい 笑

また、現実社会ではコミュニケーションができないのに、仮想空間ではできる、という理屈もよくわかる。別人になりすまして本音を言う場が欲しい、というのは中世、仮面舞踏会が盛んだったのと同じことで、人類にとって決して新しい概念ではない。「自我」に潰されることはしょっちゅうあるから、異なる人格が欲しくなるのは、当たり前と言えば当たり前のことなのだ。自分もここのレビューを匿名で書いてるわけだし。

いずれ、ゲームの中の方がその人にとって完全に「現実」になる時が来るだろう。いや、もう来ているのか。それが周りに迷惑をかけることなく成立し、その人にとって幸福であるならば、誰がそれを否定できるだろうか。彼らが多数になった時、ゲームに触れていない自分の方が新世界に足を踏み出さない「引き籠り」になるという逆転現象が起きるのかも。

…でも、やっぱり、これは、吉田鋼太郎、坂口健太郎ら旬で粋な生身の登場人物たちが、現実社会と仮想空間の区別をきちんとできていて、ゲームに夢中になりながらも、それぞれ普段の社会生活もちゃんと送っている、というキャラクターだからこそ成立した物語だと思いたい。作品もそういった意図で制作されているはずだ。

涙が出たのは、きっかけがゲームであれ、スポーツであれ、父と息子の対話が進んだから。テレビドラマ風の予定調和にやられた。ひとまずはそう信じて、自分はもう少しオンラインゲームからは距離をおいておこうと思う。…いや、やばいかも 笑