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太陽の家のkuuのレビュー・感想・評価

太陽の家(2019年製作の映画)
2.5
『太陽の家』
映倫区分 G.
製作年 2020年。上映時間 123分。
2019年にデビュー40年を迎える長渕剛の『英二』(1999年)以来20年ぶりとなる映画主演作。
やんちゃで熱いが、どこか憎めない主人公・川崎役を長渕が演じる(昔の面影なしのムキムキ)。
瑛太にパチキ(ソリコミ)入れさせる必要性は無いのになぁ、まぁ似合ってし演技も良かった。
監督は権野元。

人情に厚く、大工の腕は神技的?な棟梁・川崎信吾。
年ごろの娘としっかり者の女房と幸せに暮らす川崎だが、好みの女性にはどうしても弱い。
現場で仕事に励む川崎の前を通りかかったのが、保険会社の営業ウーマン・池田芽衣だった。
芽衣は1人息子の龍生とともに暮らすシングルマザーで、川崎は父親を知らずに育った龍生のことが気になっていた。
そんな龍生を『俺が男にしてやる!』と、半ば強引に触れ合おうとする川崎と龍生の男同士の距離は次第に近くなっていく。
そして、芽衣と龍生のために家を作ろうと思い立った川崎の前に、龍生の父親と名乗る男が現れ。。。

※長渕剛さんの熱烈なファンの方は、どうかスルーしてください🙇🙇‍♂️🙇‍♀️。
また、辛辣な表現、及び個人的な見解や伝聞で書いてますので気分を害されましたら御許しください🙇。

夏もそろそろ終わりね
君が言う
ゆかた姿でせんこう花火
きれいだよきれいだよ
きれいだよとても
       長渕剛『夏祭り』より抜粋

なんて美しき歌を歌ってた長淵。
草食男子の筆頭のようなウラナリ姿で優しき長渕剛が大好きだった。
あのギターのアルペジオ奏法から生まれる音色は、夏に飲む井戸水のような清涼感を感じ、彼の聲はまさに山の頂から湧く自然水。
小生にとってザ・長淵だった🥺
メタルを愛する小生さえ虜にした。
ギターには素人レベルで自信があっても長淵のアルペジオは未だに完コピできない。
どうしてマッチョ方向にいくのか長渕さん。
昭和女子の気持ちを歌わせたら、貴方と松山千春はジャパニーズポップスのツートップだったはず。
やしきたかじんも入れば三羽烏。
CHAGE and ASKAを入れれば。。。いやいや、バーブ佐竹も。。。キリがないが。
元々明るい気さくな性格やったからドラマ版『家族ゲーム』などでは愛着を持てた(タイムリーではないが)。
ドラマでヤクザを演じた当初も好きだった。
ピーピーピー ピーピーピー🎵と。
とんぼよ何処にいったのか。
勿論、その頃までの曲は死ぬほど聴いたし好きだった。
しかし、コンプレックスからかヤクザもんの作品をきっかけに私生活も役から抜け切れず、一時期は『ヤクザまるだし長渕』になってたのはイタく悲しいもんやった。

今宵あなたと
楽しく踊ろう 風吹く街で
レモンスライスをグラスに浮かべて
もっともっと
    長渕剛『ヒロイン』より加筆🙇‍♀️
あなたの聲を肴に
飲みたかった。(お酒は止めたけど) 
熱い吐息で美女志保美悦子とチークを踊りたかった小生も石野真子でも良いんだ。
だから、未だに真っ黒な噂をたてられるのも致し方ない部分もある。
火のない所に煙は立たぬ。
シャブやる奴は後をたたぬ。
(失礼)
空手をはじめたのと、昔からの行きつけの美容院で金髪にしてもらったのをきっかけにロックスタイルになってきたのも、頂けない。 
今でも『僕のギターにはいつもヘビーゲージ』といえますか。
ライトケージを弾いてる貴方を想像したくない。
実際はライトゲージメインやろけど。
ジェフ・ベックのスタイルを見よ!!
あの『素顔』を歌ってた頃を歌詞と共に思い出してくれ。

夜の顔を鏡で映せばなんて悲しい顔なの
強がりばかりで素直になれない
なんて悲しい顔なの
こんな私のどこが好きなの
なぜにそんなにやさしいの
私がかわいそうに見えるから
それともなつかしく思えたから
         長渕剛『素顔』より
ただ、昔の長渕のイメージから、今の長渕をいきなり見ると急変したようだけど、実際は10年くらいかけて少しずつ肉体と態度もデカくなってしまった。
でも、近頃、数少ない長淵の姿を目にすると、昔の長淵に戻りつつあるんじゃないかと。
肉体はトレーニングブランド『SIXPAD』の新商品CMを見るとキレキレ爺さんはかわりないが、ある意味脱帽。。。
そんな、長渕剛の最近を観るために視聴。
昔の愛した長淵の面影探しに視聴。
(まるで片想いの女子の気分で)
ここは、浜田省吾の『片想い』感覚で。
物語自体は決して悪くない。
悪くないが、また、散々書いといて長渕剛が出てなかったら見てなかった。
I ♥️ 長渕剛(昔の)
長渕剛を含め製作陣が伝えたい旨もよくわかる。
父ちゃんや母ちゃんの役割。
そして子供達の未来に、大人たちは何が出来るか。
家族のありかたは、場所や時代、はたまた色んな要因で変わるが、家族のあるべき姿には変わりはない。
ないと思いたい。
その原型ともとれる家族を描きたかったんやろと推測する。
長渕が演じる大工の棟梁。
(もう少しトンカチをふる練習をしてから今作品に挑んでほしかった。むしろ、本物の大工の丁稚見習いの方がマトモに釘を打てる。だから、釘を打つシーンなど撮らなければよかったのに)
職人稼業をする父親の姿は今は昔。
そして自分の本当の子供ではなく他人の子供を育て育むような慈愛に満ち満ちた姿は美しい。
そこにあるのは『愛』以外のあり得ない。
下心なんてあってはならんやろ。
その下心を抜いたら、愛が放つ姿は温もりや厳しさを訴えてるが、下心を隠せよ。
下に心と書いて恋。
直の下に心と書いてくれよ。
因みに直の下に心は『悳』。
悳=徳。
広末涼子演じる池田芽衣は、身持ちが堅い女性然は見せかけなのか。
初対面の何処の馬の骨かわからん野郎を、いきなりアパートに連れ込むなんて、新手のポン引きもしないワザ!
あり得んやろ。 
昔の京都にあった五条楽園の赤線地帯ならありうるが。
悪女でタフな姦詐で棟梁を誘ったのならいざ知らず。
いや、棟梁に家まで建てさせるんやし、計算ずくなら素晴らしい。
そないに見たら全て話が通る。
しかし、そうじゃないやろ池田芽衣(広末涼子)。
また、棟梁が『愛』を実践するならまず嫁さん大切にする意味では、棟梁も池田芽衣のアパートには一人で行かんやろ。
百歩譲って、行くなら丁稚(見習い)も連れてけよ。
あとは、棟梁が池田芽衣のために家を建てるって流れはどうも腑に落ちない。
あり得ると思わせるだけの理由や動機を、棟梁が『慈愛』あふれる仏さんみたいやからで片付けている描き方はキツい。
どうせなら、奥さん役を実生活でも妻の志保美悦子にして、空手一家で悪役と戦うファミリーを描く方がリアリティーあったんちゃうかな。
まぁ、人と人との心の繋がりは良いものだし、棟梁が池田芽衣に家をプレゼントする意味がもっと練られていたなら、感動したとは思う。
また、男はどこまでも強く、そして優しくあるべきだと云うメッセージは頷ける部分もある。
小生もそうありたいと日々精進してる。
良い意味での意地を張り続ける頑固さは、親父の特権(小生は一人モンですが)。 
そんな特権すら現代は泡沫のよう。
その復権を願う気持ちもわかるよ長淵。
そんな父親の熱い姿を描くなら、人情映画を作りたいのなら、違うシナリオで見たかったかな。
まぁ、粗ばかり探したような小姑感想になりましたが、エンディングの長淵の曲はよかったし、それが聴けただけでも耳の保養になりました。
聴こえてくるのは
『涙のセレナーデ』
さようなら長渕剛
泣いてなんかないよ
泣いてなんかないよ
風吹き荒れる心から
聴こえてくるのは
涙のセレナーデ
     長淵剛の曲より
kuu

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