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パラサイト 半地下の家族のQTakaのレビュー・感想・評価

パラサイト 半地下の家族(2019年製作の映画)
4.5
韓国映画の底力に圧倒された。
「映画、見た〜」という満足感。
凄〜く”映画”だった。
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半地下住宅の一家。
その居間の窓は、縦に低く横に広く、鉄の格子が嵌められている。
格子越しに、地面すれすれの路地を覗き込む。
一家は、この古びた狭くて、薄暗く汚れの目立つ生活から這い上がろうとしていた。
なぜ、その生活なのか。なぜ、半地下なのか。
初めから、ここに居たのじゃないだろう。
一方、丘の上の豪奢な邸宅。
新しさと清潔さ、空間がやけに広く、明るい居間。
幅広く広がった枠すらない窓を通して、手入れされた緑の芝が見える。
何もかも満たされた家庭。
全てを手に入れた家族が居た。
この、超えられない階級社会の壁を隔てた二つの家族が関わってしまう。
それは、ありえないことの始まりだった。
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この設定と、人物描写だけで、ワクワクが止まらない。
そもそも二つの家族の生活の場が、既に謎に満ちていた。
一方は、とても魅力的とは言えないが、その特徴的な場の雰囲気に囚われる。
その半地下生活を見ていると、窮屈さと抑圧された苦しさを感じる。
もう一方は、そのなんとも捉え所のない広々とした住居に魅了される。
その開放的な空間は、充足感と共に優越感を持たせる。
この二つの空間を行き来しながら、二つの家族をめぐりながら物語は進む。
高い壁を乗り越えた一家は、次々と策を繰り出して、高級住宅へ入り込む。
この序盤の展開だけで、既にスクリーンに飲み込まれていた。
このつかみのうまさが、二つの家族の出会いから繋がりまでを、あっという間に組み立ててしまっていた。
でも、物語はまだ始まったばかりだった。
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冷静に考えると、富豪の家にパラサイト家族が入り込む過程に、無理があったと思えるのだけれど、そこを楽しませてくれるあたりが、この映画の一つ目のポイントだったかもしれない。
舞台が整うまでの過程は、とても重要だけれども、そこで躓くようでは物語が始まらない。
そして、その舞台が整う過程で、物語の背景が明らかになり、そこにこの映画の主題がある事を知らせてくれる。
つまり、格差社会の生き辛さと、それでも人は生き続けると言う姿を追う映画だと。
でも、この始まり方に深刻さは無い。むしろ、それぞれが、特に社会の底辺を生きる姿にも、特段暗さは表現されていない。
それは、そう言う日常が有るだけのことなのだろうと感じさせてくれる。
そして、パラサイト家族が富豪の家庭に入り込んで舞台が整う。
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豪邸に揃ってからのストーリーが、さらにハラハラドキドキが止まらないのだが、これらのシーンの撮影の秘密がすごい。
見事なまでに整った豪邸の、全てのカットがそれだけで十分唸ってしまうほどイイ。
玄関から居間に向かって登ってくる階段のカットなどは、床から人が生えて浮かび上がってくるように見せる。
キッチンは、開放感たっぷりで、なんだか逆に居心地が悪そうな気さえする。
リビングの開放感と、天井に対してちょっと低すぎる横に広い窓から望む中庭の芝生。
この建物の全てセットだと言うのだから、この本気度は推して知るべし。
とすると、あの土砂降りの戸外のシーンや、水没した街のシーンはどうだったのだろう。
半地下の家もセットだったと言うが、それはそれとしてすごいカットだった。
丘の上の豪邸も、半地下の住居も、実際に今の韓国にある風景だという。
その、それぞれの居住環境が、韓国社会の格差を象徴的に表している。
この映画のこの舞台表現を見るに、韓国映画はすごいと言うしかない。
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そして、その非の打ち所のない豪邸で始まる一夜のシーン。
「何か起こるぞ」と思わせる展開の始まりが2つ目のポイント。
突然始まるオカルトチックな展開。
突然現れる登場人物が、それまでの話をひっくり返して、想定外の展開に観客は困惑するしかない。
でも、この展開と同時に、映画のリズムが一気に変わる。
まるで、ゆっくり登り詰めたジェットコースターが、頂上から落ちていくように急展開を始める。
もう、その流れにしがみついてついていくしかない。
そして、一通りこの夜を切り抜けて、土砂降りの街へでてから、少しリズムが落ち着く。
観客も、おそらくここで一息つけただろう。
何が起こったのか、ここからどうするのか、この家族の選択は。
そして翌日、明るい陽の注ぐパーティーを迎える。
前夜の顛末を引きずって、この陽の光は眩しかった。
その明るさが、余計にザワザワとした胸騒ぎを感じた。
この陽光の下、この富裕家族は最後の瞬間を迎える。
それと同時に、半地下生活の一家も、破滅を迎える。
そして、アッと驚く展開を迎えるのだけれど、この辺りは怒涛の展開に完全に飲まれちまっていた。
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この一夜を挟んだ二日間が、この物語のクライマックスなのだけれど、映画はもう少し続く。
この続きが、この映画を印象深いものにしてくれる。三つ目のポイントだ。
ここが、この映画の一番の見せ場かもしれない。
急展開した惨劇の後、それでも生き残った家族はこの町で暮らし続ける。
何が起こったかが重要ではない。
それでも、生きていくと言うことがここから表現されていく。
最後は、この物語の舞台となった豪邸を見つめることになる。
実際に生きている場所は相変わらずの半地下の部屋なのだ。
このラストシーンには、既に豪邸の住人はいない。
そのことに、映画を見ていて全く違和感はなかった。
豪邸の住人は、既に変わっていた。
半地下住宅の一家が、どうやって生きていくのか。
映画の始まりに戻って、あの半地下住居で生きている。
妄想の中で、あの豪邸を手に入れる。
あの芝生を望む幅広の窓から中庭を望む。
一転して、同様に幅の広い窓。格子が入っている。
この窓は、半地下住宅の窓で、徐々にひいていくと主人公がそこにいる。
もしかして、この二つの窓は、同じ縦横比だったのかもしれない。
似たような窓でありながら、そこから望む風景も、それを眺める部屋も、雲泥の差なのだ。
この差は、挑むべき壁なのか、負けを認める差なのか。
後味などと言うものは無かった。
あまりにも激しい展開で、巧妙なリズムで送り出された物語は、終始私を圧倒した。
終わってみると、ちょっと疲れた気がした。
それほど、没入していたということか。
一言感想を述べるなら、「すごいものを見た」。
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