新潟の映画野郎らりほう

思い、思われ、ふり、ふられの新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

1.8
【語り語られ ふりふられ】


主要四人のモノローグで幕開く冒頭を見た段階で、今後 四人分の心象説明が緩慢に退屈に続くであろう事を早々に察知し、もう退出したくなる。

人が言葉無く人を見つめる、見つめられる。それが映画だろうに、『思い、思われ』る事だろうに。そこに余計な心象説明をつけてしまう。

福本莉子の『理央君の好きな人ってもしかして』など全く不要である。その前段で 明け透けな母子のやり取りがあるのだから それでは説明の説明『語り、語られ』だろう。

散々不要な言葉を語っておきながら一方で『言葉にしてはいけない』などと抜かす支離滅裂ぶり。
モノクロームサイレントの衣鉢を継ぐ「マッドマックス 怒りのデスロード(ミラー)」に対し「字幕か 吹替えか」と語っている時点で重度の“言葉依存/説明依存症”である。
“(実質的)ノーテクスト ノーボイス”の良さを識らない。



〈追記〉
前述の『言葉にしてはいけない』が逆説的な『言葉は大切だ』の“ふり”である事は理解出来る。然し全編語りまくりでは、後半の“大切な言葉”を弱めてしまうだけだろう。

浜辺美波が扉越しに福本莉子の“大切な言葉”を聞く。そこで重層化されるスマホディスプレイ上の言葉や、風が吹き、陽が昇る 三木孝浩の刻印は 看取出来るものの、その多くが余計な語りに依って打ち消されている。

これまで相応の評価をしていた三木孝浩だが、私の好意も「ふりふられ」である。




《劇場観賞》