keith中村

はちどりのkeith中村のレビュー・感想・評価

はちどり(2018年製作の映画)
5.0
 予告を見て感じた「あ。もうすぐ、絶対『当たり』の映画が来るんだ」という予感を上回る大傑作でした。
 本来、この手の作品は、ある種の日本映画が得意とするところだろうし、どの時代・どの国を舞台にしても成立するような普遍的な物語だけど、ちゃんと韓国の1994,5年の時代と空気が重要な「大道具」になっているところも見事。
 
 本作では、ウニちゃんが母親を、ただ事ならぬ大声で呼ぶシーンが、冒頭とちょうど折り返し地点の2か所に挿入されている。
 これが、主たる演出意図としては、ウニちゃんが母親からネグレクトされることへの不安と恐怖を表していることは間違いない。
 しかし、私がまず冒頭で感じたのは、もしや本作は「信用できない語り手」ものかも、ということであった。
 
 つまり、「お母さんが意地悪をして扉を開けてくれない部屋」は実は「ウニちゃんが階数を間違えていた別の部屋」に過ぎなかったということで、「この子の見たもの・感じたことがそのまま事実とは限りませんよ、皆さん」という監督からの投げかけではないかと勘繰ったわけです。
 だから、同じく映画の折り返し地点の出来事も、監督からの「ね、お客さん。もしかしたらそろそろ忘れかけてるかもしれないけど、これは『信用できない語り手』映画ですよ」というリマインダーだと受け止めたのですよ。
 監督のインタビューを読むと、あれが母親なのは間違いないんだけれど、私は「ウニちゃんが、母によく似た他人を勘違いで、必死に呼びかけているだけ」とも取れるな、と解釈したわけです。母らしき人の顔が明瞭には写されてないこともあって。
 
 結果的には、私の解釈は決して間違っていなかったわけで、つまりは本作は、「主人公が感じている通りの辛いことも実際あるだろうけれど、それがすべてではなく、主人公が勝手に思い込んで解釈しているほど世界は捨てたもんじゃないよ」というメッセージになっていたわけです。
 
 あと、本作には私の大好物の、「こっちかと思わせておいて、あちらかよ!」(←なんとなくピンクレディーの「渚のシンドバッド」の出だしっぽいのが不覚な言い回し)演出があって、ここが見事。「サラの鍵」とか「家へ帰ろう」とか、ハリポシリーズ最終話とかでは、ラストに来る例のやつね。
 というか、「え? え! マジ? ちょ、やめて、それ。それ、絶対あかんから!」と、もう目から汁出ました。
 同時代の日本なら、阪神大震災に置換できるよね。
 いや、本作が傑作すぎて日本リメイクする意味はゼロではあるんですけどね。
 
 それにしても、韓国映画は世界を向いてるなあ、と常々思う。
 というのも、たとえば本作ではエンドクレジットが英語でしたね。もしかしたら、日本で見られるのはインターナショナル版ってことで、韓国内ではハングル表記だったかもしれないけれど。
 それは、自国の人口がそれほど多くないんで、外貨も獲得しようという意気込み。
 邦画でたまに見る「カッコいいからやってみました」的な英語クレジットは、誤記だらけなんだけど("Director by"みたいに酷いのもあるよね)、本作はちゃんとした英語表現になってました。
 
 まったくの余談だけど、「韓国映画が世界を市場にしようとしている」と最初に感じたのは、イ・チャンドンの「オアシス」。あの映画の冒頭で、ソル・ギョングがシャツを買うじゃないですか。あの「道端で無造作に売っているシャツの値段」をちゃんと金額として見せることで、海外の観客にもざっくりだけどスマートにウォンの通貨基準を説明しているところがそうでした。
 
 やっぱり、酒呑みながらのレビューは、私いつでも些末なことしか書いてないな。
 ま、いいか。
 
 ええい、些末ついでにもう一つ。
 ウニちゃんが先生に文学全集の一冊をプレゼントする(貸す)じゃないですか。
 あのとき、いちばん左が「暴風〇〇(ハングルなので読めない)」「人間〇〇(ハングルなので読めない)」「赤〇(ハングルなので読めないけど、間違いなく「と」)黒」って並んでましたよね(90年代韓国では、漢字はほとんど撤廃されてたはずだけど、あの文学全集はもうちょっと前の時代の出版物なんでしょうね。そう考えれば、ウニちゃんの父ちゃんも結構インテリじゃん!)。
 で、ウニちゃんは3冊目のスタンダールをプレゼントするんですが、皆さん、「暴風〇〇」と「人間〇〇」って何だったか気になりません?
 
 「暴風〇〇」は、多分「嵐が丘」じゃないですか? 間違っても「風と共に去りぬ」じゃないよね? ま、邦題が「暴風丘陵」だったら笑っちゃんだけれど。
 じゃあ、「人間〇〇」は? 太宰が韓国の文学全集に入っているとは、あんまり思えないので、「人間以上」?
 いやいや、シオドア・スタージョンは文学全集に入るタイプの作家じゃないよな。
 ってことは、サローヤンがファイナルアンサーでいいのかなあ? めっちゃ気になるんで、ハングル読める人いらっしゃったら教えてください!
 
 余談ついでに、教室には「資本論」が並んでましたよね。これは全部漢字だったんでわかった。
 
 ああ、酔いが回ったぁ!
 このレビューの後半は実に無意味なんで、もう読まなくっていいです!
 
 それよりも、こんな「地味な傑作」がシネコンでかかってくれていることが驚異的に素晴らしいので、ぜひ足を運んでください!