2018年公開作の中でとりわけ美しかった「君の名前で僕を呼んで」に感銘を受けたドラン作アンサー映画、それも自ら出演するとあって大いに楽しみにしておりました。
マティアス&マキシム、つまりマットとマックスを取り巻く友人やその親たちとの関係にまつわる説明的な描写は一切なく、すべてが彼らの会話とバカ騒ぎによって展開していきます。その親密さ、あるいはもっと意地悪な言い方をするなら内輪ノリは、観客である我々には到底届きません。周囲の理解を拒む「お約束」めいたやりとりが大半を占めていて、何がなんだか分からないまま話が進んでいくんです。でもね、何とも不思議なことに、おおよその流れは分からないなりにもざっくり把握できてしまうんですよ。「ははーん、マットは理屈っぽいとこがウザがられがちなのね」とか「リヴェットめっちゃいいとこのボンボンじゃね?」みたいな感じで。それっていうのは、彼らを俯瞰で観るのではなく観客ひとりひとりが彼らの輪に加えられているかのような撮り方がもたらす効果なのかな、なんてことを思いました。誰もが終始私的な話しかしていないのに置いてきぼり感がないのはそのおかげかな?って。マックスの右頬について一切なにも語られないのも、あのたったひと言をより残酷に響かせるためなのだろうな。
印象的に配された赤と青の衣服は、どちらか一方に固有の属性を結びつけるアイテムとしてではなく、相互に入替が可能な対をなす組み合わせとして機能していました。愛し愛される思いの強さを確かめ合うように「わたし」と「あなた」の境界線さえも行き来してひとつに溶け合うことを願う、って、それはもう完璧にエリオとオリヴァーの姿にシンクロしてますね…!最初のキスの出し惜しみからの、あのひたすら溜めて溜めて溜めまくった後のキスシーン、たまりませんでした。はああ…とんでもなく美しいものを見てしまった…。
ただひとつ、どうしてもよく分からなかったこと。山荘に向かった季節は秋から冬の紅葉シーズンで、何なら別のシーンでは雪がチラついてたりもしたんですけど、湖水浴っていつくらいまで可能なもんなのでしょうか。あんなにザバザバ泳げるもんなの?寒くないの?ってそこだけめちゃくちゃ気になりました。