Anima48

プライベート・ライアンのAnima48のレビュー・感想・評価

プライベート・ライアン(1998年製作の映画)
4.6
今普通に暮らせてるけどそれは過去の誰かが命がけで遺してくれた日常なのかもしれない。その人が何を考えそしてこんな世界を造りたいと思ったかは知らないけれど。日本人だからかな?夏の日はそんなことを想う。・・冒頭、色褪せて見える国旗がはためいている。曇り空の下、地平線の彼方まで十字架が並んでいる。

ノルマンディー上陸作戦。歴史の講義ならナチス対する自由と民主主義の為の勝利に終わったけれど、そんな美麗な文句は通用しないようだった。映画で扱う以上どうしても実際の状況を美化してしまうことが多いけれど今回はそんなことはない。上陸艇の全部ハッチが開いた瞬間に重機関銃の弾が撃ち込まれ、あっという間に人がボロボロになっていく。まだ何もしないうちに、生きている兵士から死体に変わってしまう、まるで死ぬためにあの浜に運ばれたように。それに海に下りてもそのまま溺れて死んでしまう。陸地に何とかあがり一息ついたかと思うと頭を打ちぬかれたり、内臓がこぼれたり、千切れた自分の腕をもって呆然自失で歩いていたり。五体満足で死ぬのはまだ恵まれているという状況がここは人間の尊厳なんて全く通用しない場を教えているようだ。地獄という言葉が出来た時、こんな光景はその人の頭に浮かんだのだろうか?敵も味方も大量殺戮のただなかにいてそれでも前進を止めない、前にあるトーチカを占領しないと生き残れないから。そして火炎放射器で中にいる敵を生きたまま燃やしてしまう。降参を求めてきても騒乱の中撃ち殺してしまう。撃たれた兵士は苦しみながら死んでいく。観てる側は誰がどんな人柄で、何が担当でという事はわからない。土煙で覆われ、血で濡れた顔で見分けもつかない、誰が何を言っているかも聞き取れない。だから余計に戦場という大きな混乱に組み込まれた部品のように見え、英雄賛美や反戦の叫びよりも、ただ恐怖と怒りと痛みと混乱だけが印象に残る。

端的に言えば戦争は巨大な暴力でさらに言うとたくさんの人を殺すこと。当然こちらも殺される、敵は自分を必死に殺そうとしている。そして人を殺す為に巨額の資金と頭脳が投入されて開発される兵器、それらを駆使していかに効率よく敵を駆逐占領するかに知恵を絞って作成される作戦、それらを前に柔らかな人体や繊細な想いなんてひとたまりもない。ただただ戦争のメカニズムに圧倒される、やっぱり戦争は人類の敵だと思ってしまう。(しかもこれはまだ第二次大戦の頃の話で、あれから兵器は進化し続けている事態に途方に暮れる。)そんな戦場を彼らは前に進み続ける。高度な意思決定の場所なら独裁政治を倒すための橋頭堡を築く等の闘いの意味を議論して作戦を立てるかもしれないけれど、兵士たちはその場で生き残るために前進していた、容赦なく砲弾や破片が彼らに降ってくる。‥戦争をするということは、そういった場所に若者を送りだすことというのがわかった気がする。戦争は悲惨だ。そこに向かうために厳しい訓練をして心の準備をしている兵士、そういった人たちを大切にして決して軽んじてはいけないって思う。

上陸戦を生き延びた兵士達は消耗しきっていて、ようやく生気が回復したころになるとやっと一人ひとりの人柄が見えてきて、頼りになる軍曹、冗談好きで反骨心のあるニューヨーカー、狙撃のプロ、強面で情け深いイタリアン、面倒見の良いユダヤ人、真面目な衛生兵、戦ったことのない通訳といった面々。特に通訳に自分の姿を重ねてしまう。1人の兵士を救うために8人の兵士を危険にさらすというライアン救出には皆疑問を感じている。特にニューヨーカーはストレスや不信を正直に表していた。周囲の兵士とは違ってミラー大尉は士官、なので上位層の意図も汲みつつ部下に指示を出す。部下が死ぬときはその10倍の命を救っているはずだと。本音を言えば早く家に帰るために任務を遂行すると語るミラー大尉の精一杯の落としどころなのかもしれない。で8人はライアン救出に意何とか味合いを感じることができたようだ。あの言葉は、戦争の結果救える生命や人生があるに違いないしその為に戦争に従事するという意味もあるのかも知れない、そしてそれは上位層の考えやそれ以上の政策決定者の理念の代弁として機能したかもしれない、でも大尉は独りの時に咽び泣く。この映画を見て色んな立場の人が色んな感情を抱くだろうけれど、このシーンは何かのまとめ役を任されている人は思う所があるかもしれない。 

戦場で民間人の娘を託された兵士、戦闘が終わり、娘は兵士に自分を預けた父親を泣きながら叩く。穴を掘り終えると殺される捕虜は、恐慌状態の中で穴を掘り続けることにすがる。そんなぎりぎりの場面が心に残る。まるで肉親が今死につつあるのを見守るしかないというような避けたくても避けれない悲痛な思いを、戦争は兵士以外の人にも体験させてしまう。

橋のある町の中で待ち伏せしている時に戦車の地響きで、砂利が揺れる辺りはジュラシックパークを思い出す。ライアンは味方を見捨てないと言ってあの町に残る。そんな彼に”お前を助ける為に2名がもう死んでいる”という言葉が衝撃を与える、夢や理想に人を巻き込んでしまう可能性が有る時に覚えておきたい場面だった。そしてライアンは結果あの8人を死に追いやったり生き方を変えてしまった。”無駄にするな,しっかり生きろ”教師としての言葉か、士官としての言葉なのかはわからない、多分どちらでもあるだろう。あの瞬間ミラーの中で忘れつつあった教師としての生き方が蘇ったのかもしれない。その言葉はそこまでの意味は含んでいたかどうかはわからないけれど、ライアンはそれに見合う人生を送らなくて行けない責任を背負ったようだ。

ライアンの墓参りにあの戦いを生き延びた彼が産み出した家族が何人も続く、ミラー大尉は確かに部下の命を危険にさらしたが多数の命を救う=誕生させることが出来たんだと思う。それはライアンがしっかり大事に生きたから起こった事実、彼は犠牲の上に掴んだ人生をしっかり生き切った、繰り返すけれど、ミラー大尉は10倍以上の命を救うことができたと思う。


・・果たして僕は意味ある人生を送っているのかな?
Anima48

Anima48