【 Daemon /ダイモーン】
走り去る母の乗る車を 追い掛ける幼いアレサ。
どんなに追い掛けても 母の車は彼女を突き放して行ってしまう―。
ここで誰もが「この二人はもう二度と会う事が叶わない」という暗示に気付くだろう。二者の距離化、少女の身体性、そして 母の行く先が「漆黒の闇」であるからだ。
事実を識った彼女は再び一人でその暗闇に身を投じようとするも、闇は遥か深奥へと伸びており、彼女は唯立ち尽くし哀哭するより他無いのである。
ここまで見て、本作が 伝記映画でもなければ 音楽映画でもなく、況して人種や男女間差別、社会/家庭に於ける個人尊厳の疑議提起を第一義にしていない事を看取する。
劇中 度々言及される「 Demon /デーモン」。無論“悪魔”であり 作中対訳は“虫”である。当然 彼女の母が消え入り、彼女自身も足踏入れ掛けた「漆黒の闇」をも示していよう。
闇(に消えた母)に囚われ 闇に飲み込まれそうに為るアレサ ― ネガティブなものとして捉えがちである。
唯 デーモンの語源である Daemon /ダイモーンは、本来“死者の魂”の意であり、善悪両義的で 人に不幸を齎す邪悪な存在としてばかりでなく、限りなく神に近い存在〈半神〉でもあった筈だ。
それらを鑑みると本作は(劇中 解り易く描かれる) 組織/制度としての「宗教」や、信じる信じないといった 人の「信仰」ではなく、より根源的な神と人の関係性/繋がり/畏敬『神話』こそを最主題としている様に思う。
恐怖 脅威 不安 心痛 苦悶 傲慢 無理解 ― 母との別れを機に始まるそれら困難〈闇〉は、母の再会〈再臨〉に依って 善悪両義性の もう一つの側面を指し示すだろう。
神は 教義的なものばかりではなく すぐ身内に 身近に確かにいる。
Amazing Grace
《劇場観賞》