銀色のファクシミリ

いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46の銀色のファクシミリのレビュー・感想・評価

4.2
『#いつのまにかここにいるDocumentaryof乃木坂46』(2019/日)
劇場にて。アイドルグループ・みんな大好き乃木坂46のドキュメンタリー映画第二作。ドキュメントなので、この作品内でしか分からないことだけは伏せて感想を書きます。結論としてはファン必見の映画でした。😌

2017年12月末から2019年の春頃までの、乃木坂46の活動と主要メンバーにスポットをあてたドキュメンタリー映画。作品冒頭で、監督のモノローグテロップでも示されるとおり、なかなか難しい時期の映画だと思っていました。一作目の『悲しみの忘れ方』は、2011年の結成から2015年までの彼女たちの成長譚。

この映画の描く時期の乃木坂46は、すでに紅白出場、レコ大受賞を果たした人気を集めるグループであり、成長譚とするのは難しい。かつ取材していない2015~2017年の約2年間分の空白がある。ここの説明を抜きに物語は進められるのか。

そして監督の決断は、この時期の大きな出来事である「西野七瀬の卒業」を物語の軸として、また変遷期を迎えた乃木坂46のメンバーの現在の姿を映すことでした。デビューから7年、大きな成果を挙げつつも一期生の卒業も増えてきた乃木坂46グループとメンバーの「いつのまにか、ここにいる」物語。

デビューから7年。主要メンバー「福神」からの卒業も目立ってきた乃木坂46において、卒業の二文字は一期生の誰もが意識するテーマになっていた。別の道に進むことを決めた者、乃木坂46が、アイドルが人生になっている者、困難を承知で二足の草鞋を履く者。それぞれの「いつのまにか、ここにいる」。

一期生の卒業は、三期生にも影響していた。西野七瀬を姉のように慕う与田祐希がクローズアップされる。西野七瀬と過ごした時間の話、卒業を知った驚き。2016年の加入から、徐々に活動の場を拡げてきた彼女が、ある場所で流す大粒の涙。乃木坂46の将来を担う与田祐希の「いつのまにか、ここにいる」。

同じく三期生主要メンバーの大園桃子。アイドルを演じることも、アイドルらしく振る舞うことも苦手な、「素の自分を見せることしか出来ない」と嘆く彼女が、ある場所で、ふと心によぎったとある感想。素の彼女が云うことに大きな意味があった、大園桃子の「いつのまにか、ここにいる」。

大園の言葉は、若きエース・齋藤飛鳥の今の心情を代弁するかのようで。他人と距離を置き自身にも否定的な彼女の、地元の成人式と同窓会のシーンはこの映画ならではの注目のシーン。映画のラストで、彼女らしい表現で、ある気持ちが語られるのが良きでした。齋藤飛鳥の「いつのまにか、ここにいる」。

そして、卒業コンサートを迎えた西野七瀬。彼女の最後の挨拶が、なにより先に「支えてくれたスタッフ」への細かい謝辞であったことが印象的。この場所を当たり前のように用意してくれる人々への感謝を述べる言葉は、同時に後輩達への「乃木坂らしさ」の継承の意志を感じました。

さらに特筆すべきは、新たに加入した4期生の自己紹介を、バックステージで見守る1~3期生の表情。注目ポイントです。
この映画に映っていることが全てとは思いません。でも乃木坂46メンバーの意識の根っこに、この映画が描いたものがあるのならば、やっぱり推せるなあと思いました。感想オシマイ。

追記。前作では薄かった乃木坂46の楽曲と絡めた演出も効果的で、映画の章立て構成も分かりやすく、一本の映画としては前作を上回る出来だったと思います。まだまだありますが最後に。終盤のある場所を散策する齋藤飛鳥だけで画が持つ存在感はさすが。「いつまでも見ていられる」はむしろファン側のセリフ。
(2019年7月15日感想)