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ルクス・エテルナ 永遠の光のkuuのレビュー・感想・評価

3.8
『ルクス・エテルナ 永遠の光』
原題 Lux Æterna.
映倫区分 G.
製作年 2019年。上映時間 51分。
日本初公開 2020年11月20日。

『CLIMAX クライマックス』などで知られるフランスの鬼才ギャスパー・ノエが、映画への狂気を独特の映像で描いた異色作。
出演はシャルロット・ゲンズブール、ベアトリス・ダル、アビー・リー・カーショウ共に本人役で登場。

魔女狩りを題材にした映画の撮影現場。
女優、監督、プロデューサー、それぞれの思惑や執着が入り乱れ、現場は収拾のつかないカオスな状態に陥っていく(好きやなぁChaosが)。

今作品は、以前なら隙間産業にこっそり毒の華を咲かせ、四つ葉のクローバーを探すように、わけ入らなきゃ毒の香りを嗅ぐことも(匂いを嗅ぐ人によっては媚薬にもなるかも)、生涯、目にしない可能性はある作品。
しかし、ストリーミングサービスの普及で簡単に世界中の映画作品と出逢える昨今、その毒は、画面をタップするだけで目にすることが可能となってる。
野性的で、このメタフィクション的な地獄への旅は(個人的にはそう感じた)、ユニークな体験に想いを馳せてる人には、きっと媚薬の効いた世界に誘ってくれる"かも"。
かもっす。
後半10分ほどは目が回るのは確かかな。
因みに、メタフィクションてのは、架空の出来事であるフィクションをフィクションとして扱うことと定義され、小説や映画、アニメとか創作物において、作中であえて『これは作り話である』と表現する手法。
今作品は諧謔を弄ぶ作品ではないとは思う(多分そうだと信じたい)。
しかし、作品を観た後に小生は、ジョークの類いなんじゃないかと、そう感じる部分は少なからずある。
今作品は50分と短いのですが、最後まで観ると、まるで何時間も続く試練を観たかのような気分になる。
何かを植え付けられたのではと不安もすこしだけある。

⚠️⚠️⚠️⚠️※老婆心ながら⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
か弱い方は一人で観るのは避けるのが無難かと思います。
作中、フレームが点滅し、カメラが浮き上がり、予期しないスペースを高速化し、ネオンパレットが脈動します。
二分割画面で徐々に毒気を感じ、毒素が回るは上映時間残り10分ほどですが、映画で使われている効果で、心身に問題が引き起こされる場合がないとは云えません。
カンヌ映画祭では、上映中に観客が病気になったり失神したりする場合に備えて、救急隊員がプレミアの外で待ってたそうですし、控えめに云っても笑い事ではないので。⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️💫

また、ギャスパー・ノエ自身、自分の映画を体験して、分析しすぎないようにと、注意を喚起してる。
そう云われると何か裏があるのか探りたくなる。
せやし、考えないようにはしたいが、どうしてもしてしまう。
今作品は、なんでもイヴ・サンローランが製作に資金を提供してるそうな。
俳優たちに衣装を提供する代わりに、ノエのビジョンをチョイと拝借して一種の作家主義のファッション広告として始まったと云うことを、ノエは他所に目を向けたいからそないな事を云ってるんやろか。
いや、そうじゃないやろけど、これは、皮肉を誘う。
今作品が、『諧謔を弄ぶ作品』じゃないかと直感的に感じたのはそのせいなんかもしれない。
もしそうなら、少々ひどいコマーシャルであり、紛れもなく魅力的な実験とも云える。
ジャン=リュック・ゴダール 、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、カール・テオドア・ドライヤーといった芸術界の巨匠たちの言葉を皮肉たっぷりに引用し、遊び心に満ちた軽蔑の念を込めつつ、音と映像の持つ生の力を信じて、映画界を痛烈に批判している。
今作品は、撮影現場での災難で幕を閉じる。
網膜をおびやかすようなネオン色とストロボ照明の効果による悪夢のような映像の炸裂は、ノエにとって一種の奇跡と呼べるかもしれない。
もし、観る者に、このノエの毒の華毒素が適合したなら、恍惚が訪れるのかも。
一瞬、禅での陶酔に似たものを感じ始めたような気はしたが、あいにく、小生は少々、目が回り気分が悪くなった。
あと、なんやら高尚なものに触れれたんじゃないかと気分が良くなった。
二律背反のような不思議な体験は味わえた。
ただ、今作品はノエにとっては一種の奇跡と呼ぶにふさわしいモンやと云えるんやろないろんな意味で。
また、今作品ですが、登場する3人の女性は、そのキャラ的特徴を有意義に発展させる代わりに、徐々にエスカレートしていく不安を抱えている。
特に、シナリオよりも雰囲気を重視した50分間のショートムービー故に、それが許さる範囲かな。
それでも、特にノエがこの映画を2019年のカンヌ映画祭に出品するために5日間の時間で撮影したことを知れば驚き桃木山椒の気分。
ノエは、映画製作が(女性)スターを服従させ、そのキャラを決定付ける生命力を奪うようにデザインされたメディアである云う。
今作品の現実は、そのタイトルの後に来るセリフのためにほとんど存在する。
ノエは恐ろしい雰囲気の達人であり、彼の威厳ある、独裁的とさえとらえれるイメージ作りのスタイルで、圧倒された(ストロボが圧倒したのかも知れないが)。
また、今作品が見せるフェミニストへのアプローチ。
それは、フェミニスト的であることを認めざる得ない。
まぁそれは、なんら悪いことではないし、むしろ全く逆のムーブメントとしては善き哉。
特に、今作品のように、うまく表現されている場合はやけど。
女優さんたちは、魔女狩りの撮影の間、かなり多くのことに耐えなければならない。
魔女狩りといっても、かつてのような魔女狩りではなく、もっと微妙で、権利(主に男性の権利)に関係するもの。
全ての現場がそうやとは云わないが、性差別はそこかしこにあると思う。
その事は、

『最近の映画業界の性暴力』。
立場の差を利用した『合意の上』の醜悪さ。

なんて醜悪な記事を目にするのが増えてきた昨今、故にあくまでも伝聞ながら、否定することはできない。
女性をこれ見よがしに利用しようとするヌードであれ、他のプロジェクトや映画に参加するための説得力ある主張であれ。
ただ、すべての映画作品がそなものでないことを、いち視聴者たる小生は、願ってはいるんやけど。
今作品は、冒頭(タイトルカード)が示唆するように、これから何かが始まる。
気分が悪くなるような何かが、と予期できる。
そして、それよりも頭の中で起こっていることであるが飲み込みにくいが、ほとんど物理的に攻撃されていく。
ストロボの効果と、特に、音響効果も相乗効果で攻撃的に責め立てられてくる。
その後は、先ほど記した気分に陥ってます。。。
kuu

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