磔刑

オペラ座の怪人の磔刑のレビュー・感想・評価

オペラ座の怪人(2004年製作の映画)
2.0
「凄いらしい」

「ウチのオペラ座では恋愛禁止!だけど恋愛したい!!」、「裏で工作してプリマにしてやった推しメンに裏切られた!!許さんっっ!!」ってこれ、AKB48の内輪揉めの話でしたっけ?って思うぐらい陳腐で馬鹿っぽいストーリーだ。

話の主軸の恋愛劇は“みんなの人気者でお金持ちのイケメン”と“私だけが知っている影の天才イケメン”との板挟みにあって辛いわー。って今の日本で絶賛擦り倒されている三流少女漫画原作映画の様で、なんとものめり込みにくいものがある。クリスティーヌ(エイミー・ロッサム)がプリマになる過程のトントン拍子から感じる「細けぇ事は気にすんな!」精神も少女漫画的である。

そもそも『オペラ座の怪人』自体が今で言う所のテンプレと称される設定やらストーリーの起源の内の一つなのだから、演出やストーリー、キャラクター設定などに既視感を覚えるのは当然だ。だが、その現代では何の新鮮味もない内容をあえて今作る意味、気概、必要性を感じられず、只々、古典芸術をそのまま垂れ流している様にしか思えなかった。その辺りの現代で描く必然性のズレと「古典だから」で押し通す作風は高畑監督の『かぐや姫の物語』と似ている。
それに、ここまで舞台劇的文法で演出するなら映画じゃなくても良いんじゃね?とすら思ってしまう。(人気舞台劇をわざわざ劇場に足を運んで見なくても済むように、舞台劇をそのまま映画にしたらしいが、それが映画である意味に罅を入れている気がする)

ミュージカル映画には免疫があると思っていたのだが本作の全編歌いっぱなしの演出は少なからず疲労感を覚えた。
個人的にはミュージカル映画の歌唱パートはアクション映画におけるアクションシーン。またはホラー映画における猟奇シーンと同じで作品の魅せ場だと思っている。だが、今作は通常の会話はそこそこに、ほぼ全てのセリフを歌で表現してるもんだから作品のメリハリを感じにくい。作品の魅せ場もその他のシーンの中に埋もれてしまい、単調で間延びした印象を受けてしまう。
それに設定やら関係性、物語進行、感情の変化なりを全て歌で納得させれるのが土台無理な話だと思う。
それでも大まかな設定と流れは何となく察する事は出来るのだが、クリスティーヌが何故ファントム(ジェラルド・バトラー)に惹かれるのか?その逆も然り。天使の声が才能やら努力の比喩なのか?指導してくれたファントムそのものを表してるのか?って設定の基礎すらイマイチ明確でなく、全体像が実にフワッとしている。それにファントムが劇場に及ぼす影響力。過去、劇場で何があって、どのような経緯で劇団員に怖れられるようになったのかのバックボーンすら全然掴めないので、その問題の中心で「好きです!」とか「やっぱり嫌いになりました!!」とか大声で歌われても「随分直情的な奴やなー」ぐらいにしか思えなかった

それでも『マスカレード/ホワイ・ソー・サイレント』、『ポイント・オブ・ノー・リターン』、『あなたは孤独ではない』には心動かされる部分はある。しかし、結局は好きとか嫌いとか引っ付くとか引っ付かないっていう、犬も食わない痴情の縺れをそんな仰々しく歌ったり、2時間半もやる必要があるか?って内心思ってしまうのも事実だ。

ファントムも実は良い奴だが悲惨な境遇で過ごした事で誤解されているだけかな?とか思ってたら根っからの陰湿、陰険のド屑厨二病嫉妬豚野郎でどうしようもなかった。かたやクリスティーヌも主体性のない八方美人で感情移入する対象が存在しないのも観てて辛くなる要因であった。
仮面を付けたジェラルド・バトラーはスベスベお肌のダークな雰囲気漂うイケメンで『300』とは随分違ったイメージでそれはそれで眼福であった。手放しに喜べる部分はそれぐらいかな。
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