ベイビー

ホモ・サピエンスの涙のベイビーのレビュー・感想・評価

ホモ・サピエンスの涙(2019年製作の映画)
3.8
"やっぱり愛がなくっちゃね"

そんな映画のコピーに惹かれ、映画館に入り何気に今作を観てみたのですが、内容はまるでコロナ禍の煽りで心から疲弊している、今の世の中に生きる人々を描いたような作品でした。

ふと思えば、ここ最近は僕の心も疲弊しきっていたように思います。

コロナ禍の影響で会社も汲々としており、上の人たちも売り上げを伸ばそうとアレをやれコレをやれと毎日のように言ってくるのですが、売り上げはそう簡単に伸びるわけでもありません。

どの会社も同じだと思いますが、歯車が噛み合わないというか、もがいても報われない苛立ちが隅々まで行き渡って、仕事をしているだけで心が疲れてしまいます。

おまけにコロナの感染予防対策で、母親の居る施設に行くにも規制がかかり、何ヶ月もの間母とも会えない状況でした。そういう身内への心配事とか、何もしてやれない罪悪感みたいなものに苛まれ、知らないうちに不健康な心の状態を作っていたのかも知れません。

そんな具合でここ最近、ずっと心の潤いを失いかけていましたが、本日久しぶりに母親に会いに行き、リモートながらも会話もでき、母の元気そうな笑顔も見れたので一安心。おかげ様で枯渇しかけていた心の中も潤うことができました。

そんな潤った気持ちを残したまま、夕方に少し時間も空いたので、久しぶりに映画を観ようと思ったところ、偶然目にしたのが先程の

"やっぱり愛がなくっちゃね"

という今作品のキャッチコピー。僕はその言葉に引き寄せられ、初めてロイ・アンダーソン監督作品を観ることにしました。

サムネにも使われているポスターを見て、僕は勝手に「ベルリン・天使の詩」のような、ファンタスティックなヒューマンドラマかな、と期待していたのですが、先程も述べたとおり"人類の疲れ"を描いたような作品。特定の主人公が居るわけでもなく、ただ人々の憤りの姿を短いエピソードで繋ぎ合わせている作品でした。

正直に言えば、少し退屈な作品です。しかしこの作品の捉え方によっては、なんとも味わい深い作品となります。

あるエピソードの中で、青年が同年代の女の子に熱力学第一法則の話を語り出します。

話の内容は「質量=エネルギー」を基本とし、現存する全ての質量とエネルギーの数は固定されていて、質量がエネルギーに変換されたとしても、この世に存在する総数としては変わらない。だから君が今消えてエネルギーに移行したとしても、いずれそれは質量を伴う個体に等変換され、また新たな形に生まれ変わるのだろう。その形はポテトかも知れないし、トマトかも知れない。だけど、それがどうであれ君は永遠なわけだし、そして僕も永遠なのだから、いずれ二人は長い年月を経て、またどこかで巡り会うのかも知れない…

というようなことを言っていました。

今作のスウェーデン語での原題は「Om det oändliga(無限について)」ですから、たぶんこのエピソードが作品の本質をまとめ上げる核の話となるのでしょう。

この永遠についての理屈が正しかどうかは知りませんが、彼の言うエネルギーと質量が持つ等価性の法則を用いれば、人が流す"涙"という質量は、感情が溢れ出し、その"エネルギー"が等変換して流れ出るものだと理解できます。

それで言えば、邦題である「ホモ・サピエンスの涙」の"涙"とは、この作品全般に漂う疲弊した人たちの心を映し出しているのではないでしょうか。

僕は今回初めてロイ・アンダーソン監督の作品を観たのですが、これまで述べて来たように物語の作り方にも特徴がありますし、画角も独特で、洗練された構図がとても素晴らしく感じました。

溝口健二監督作品を彷彿とさせる据え置き固定カメラでの長回しの撮影。独特な遠近法の構図を作り上げ、一つごとのエピソードの中で、カメラのアングルが変わることはありません。なのでこの作品はその画角の良さも相まってか、映画というよりも動く写真集を見ているような感覚です。

それは最後のエピソードに象徴されていて、画角の構図はパースを使った遠近法の効果で奥行きが遥か向こうまで広がっています。そこに映るは一本の渇いた道。その道は疲弊した人が歩み続ける長い人生のように見えてしまいます。

また他のエピソードでは、地雷で脚を無くした男がマンドリンを奏で「オー・ソレ・ミーヨ」を歌いながら物乞いをいていました。脚を失くし不自由になった男が愛の讃歌を歌っている姿は、見る人によっては滑稽に映るのかも知れません。

他にもこの作品の中で、ある人は信仰を失くし、ある人は金を無くし、ある人は戦争で息子を亡くしています。

この作品で描かれているのは、人々の普遍的な痛み…

何となく人生は理不尽で、何となく世間は冷たくて、何となく不条理に満ちたこの世界は、人から大切なものを奪うこともあります。しかし、この世界が無限で繋がっているというのなら、熱力学第一法則に則り、失われたものはいずれ違う形になって自分の元へ戻ってくることになります。

人は何かを得るために何かを捨て、何かを失えばそれに等価する何かを手に入れるもの。そう考えると先程の脚を失った男は、脚を失った代わりに愛を得て、情熱が溢れる「オー・ソレ・ミーヨ」を歌っていたとしても何らおかしくありません。

そのように解釈すると、この作品は私たち人類の心が疲弊し、痛みに耐えかね大きな涙を零したとしても、この独特な根拠で「きっと大丈夫さ」と、優しく語りかけているように思うのです。

今年は世界中で色んなものが失い、そして奪われました。しかしこんな世の中だからこそ、得られたものも多いのではないのでしょうか。それは思いやりだったり、団結力であったり、優しさだったり。

そんな助け合いが必要な今だからこそ…

"やっぱり愛がなくっちゃね"

と、改めて思い出させてくれた素敵な作品。今日という日にタイミングよく今作と出会い、とてもラッキーでした。素敵な邦題とキャッチを考えてくれた、日本の配給会社さんに感謝したいです。
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