櫻

バーナデット ママは行方不明の櫻のレビュー・感想・評価

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わたしは何度でも、わたしになって生きていく。大切なものを抱きかかえて、覚悟を決めたつもりでやってきた場所であっても、いつの日か息苦しくつらい場所に感じてしまうことがある。ここにいる、ということが苦しくて、自分でいることがつらい。まるで人生とは、ふかく呼吸のできる場所をもとめてさまよう旅のようだ。バーナデットにとっては南極だったけど、わたしはどこだろう。そんなことを考えながら観ていた。

母が日々を苦しくなく、彼女として生きているならそれだけでうれしい。わたしは娘のビーの気持ちがとてもわかるし、わたしと母はバーナデットとビーの関係に似ている。思いついたように海外旅行をして、その時見たかったものを見てくる母は自由で楽しい人だ。けれども、去年の夏から今年の夏までの1年間、母は人が変わったように気弱になり、体力も落ちてよく倒れるようになってしまっていた。どんな治療をしても、どんな食事をとってもいっこうによくならなかった。わたしは手を握ったり、米ぬかの温パックで足やお腹や腰をあたためたり、足裏をマッサージしてそばにいることしかできなかった。ある時、母は自分でヨガをはじめ、1ヶ月くらいしたら少しずつ元気を取り戻していった。結局はその人が自分でどうにかしようとすることでしか、良いほうへ向かえないのだと思った。まわりの人ができるのは、そちらに向かう手助けをすることだけなのだった。苦しいけど、たぶんほんとうにできるのはそれだけ。

壊してはつくり直す。その繰り返しが日常なら、わたしはきっと大丈夫なほうに進んでいる。あなたもそうだったら、と願う。そこが退屈で陳腐なものであっても、目をこらして見つけた些細な光に感動する権利がある。どうか謝らずに、あなたがあなたでいられる場所に少しずつ向かえますように。わたしもきっとそこに向かいます。まわり道してもきっと出会えます。あなたはどうか何度でもあなたになって。わたしも何度もわたしになって会いに行きます。
櫻