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マトリックス レザレクションズのbackpackerのレビュー・感想・評価

3.0
マトリックスシリーズ三部作(以下「トリロジー」)完結から約20年、正統続編が追加され、マトリックスの物語は真の大団円となった……のかな?

個人的には楽しめました。
ただ、スコア基準を6段階評価にしている都合上、3点(普通)と4点(好き)のどちらにするか考えると……。
ストーリー、斬新さ、映像美、アクションシーン等諸々勘案した結論は、3点(普通)としました。


大前提として、本作は、トリロジー鑑賞必須の作品です。
「過去作見てないからわからんかった」というレビューを目にしますが、まさしくその通り。トリロジー内の名シーンのカットインや、セルフオマージュ(薬莢降り注ぐ中、ヘリを下から見上げるカット等)がふんだんに使われており、ストーリーも『マトリックス』(以下「第1作」)のリメイクに近いとあっては、トリロジーを見ていない人には意味が伝わらないかと思われます。
ネオ(演:キアヌ・リーブス)とトリニティー(演:キャリー=アン・モス)の愛が持つ力も、過去作未見では大げさに見えるかもしれません。
愛の力の例示としては、第1作にて、ネオがマトリックス内で絶命&それにより現実世界でも絶命した後、現実世界でトリニティーにキスされたことで蘇生(=復活(レザレクション))。それにより、救世主に"目覚め"、現実世界へと戻る="目覚める"ことができる、というくだりがあります。愛の力は強いのです。

それを踏まえたうえで、色々思うところありますが大まかには以下の3つ。

一つ目は、セルフオマージュ(パロディ)と思わせての自虐ネタが多すぎること。
例えば、『マトリックス リローデッド』(以下「第2作」)に登場したメロビンジアンという、マトリックス最古のプログラムがいましたよね?
本作にて描かれるアップデート後のマトリックスでは、消去を免れる代わりに、エグザイル(放浪者)という浮浪者の老人に落ちぶれていました。そんな彼が、「続編のスピンオフを作ってやる!」と悪態をついて去っていかシーンがありましたが、この時、映画の流れはピタリと止まり、物語内も観客の我々も、シーンと静まりかえってしまいます。
本作においては、「トリロジーは現在のマトリックス世界で発売されたゲームの内容」という入れ子構造になっており、様々なセルフパロディと自虐ネタが組み込まれているので、これもその一環なわけですが……いります、こんなネタ?
他にも色々ありましたが、正直、あまりにも貶め過ぎです。トリロジーが生み出した偉大なミーム・自らの誇りを蔑ろにしては、良い結果にはならないと示してくれたように思えます。

二つ目は、アクションシーンが普通になってしまったこと。
代表的なのが、第1作の上体を反らせた弾丸回避(所謂「マトリックス避け」又は「Trinity! Help!」)やエージェント・スミス(演:ヒューゴ・ウィービング)とのバトル等で見られるバレットタイムを用いたアクション。昔からある技法ながら、徹底的制御で精密な撮影をしたことで、現代的なスタイリッシュアクションに昇華させました。これらマトリックス流のアクションシーンは、その後の映像作品に多大な影響を与えています。
そんなアクションシーンのエポックメイキングな映画だったマトリックスの看板には、どうしても「次はもっと凄いアクションが見られるんだ」という期待がつきまといます。当然私も、そんな期待を持って、作品を鑑賞しました。

結論だけ言えば、本作で描かれたのは、ごくありふれたアクションシーンでした。
近年は、MCUが確立させたアクションシーンメソッドや、CG技術の向上もあり、どんな監督でもそこそこのアクションシーンが取れるのが当たり前のような雰囲気となってきています。
トリロジーでは、固定カメラでのブレの無い動きのアクションが主流だったところ、本作では手持ちカメラの激しい動きのアクションが主体に。
そもそも、ネオがトリロジーに比べて弱体化したという状況にあっては、トリロジー以上のアクションをネオに求めるのは無理筋。かと言って、激しく揺れ動くカメラワークや、今っぽい細かいカット割アクションで補填できるわけではなく、ただ単にあり触れたアクションシーンに成り下がっただけにすぎません。
コレは!と惹きつけられるシーンは、すべからくセルフオマージュ。過去作のような斬新さを生み出すのは至難の業とは言え、やはりあまりに普通すぎると感じざるをえません。

三つ目は、あえて説明しないにしても、伝わらない事が多すぎること。
前述のとおり、本作は入れ子構造となっており、複雑な中身をしています(それをあまり意識させない勢いは流石)。
その最たるものとして、導入部から頻繁に登場するモーダルという言葉があります。
これは、どうやらwebデザインやUIデザインにおける専門用語で、「実行」と「戻る」画面のポップアップウィンドウみたいなモノを想像すればいいようです。

要するに、本作におけるモーダルとは、マトリックスの中に存在するゲームのマトリックス(トリロジーの物語)のシークエンスが、それをクリアしないと先に進めないweb上のポップアップウィンドウみたいなものとして扱われている、ということのようです。個人的には、映画内で上映される映画のようなものと認識しています(『アイアンスカイ』劇中で上映される『独裁者』みたいな)。

映画内映画のキャストは、一層目の映画には普通は出演せず(『ラスト・アクション・ヒーロー』系は別として)、直接的に影響を及ぼすことはありません。しかし、本作では、映画内映画にあたるマトリックス内のゲーム版マトリックスは、当然一層目のマトリックス内ではモーダルに過ぎず、何の影響も与えないはずです。にも関わらず、そのモーダル内のプログラムが自我を持ち、一層目に出てきた、これがモーフィアスであるということのようです。
……うーむ、複雑だ。そして面倒だ。
トリロジー時点でも、哲学的な問答を繰り返す内容や、不思議の国のアリスやキリスト教的な引用もあって、相応の知識がないとわかりづらかったりします。
本作は、そこに追い打ちをかけるかのように多くの知識を求めてくる(別に知らなくても面白いのはやっぱり流石)ので、いやはや参ってしまいます。


作品の長さを感じさせなかったトリロジーと、長さ以上に長く感じる本作では、やはり期待値を少しばかり下回った感はあります。
ただ、ウォシャウスキー兄弟からウォシャウスキー姉妹となり、さらには姉のラナ1人での監督となったことを如実に感じさせるラスト等、女性のパワフルさが全面に感じられる点は素晴らしいですね。
まあ、それにつけても、魅力のない悪役や、"バレットタイム"がメタ的に登場しながらアクションに使われない等の要素には、物申したい気持ちがありますが……細かいことは気にしない!

トリロジーが好きな方は、見て損はありません。
トリロジー未鑑賞の方は、この機にご覧いただいて、本作に挑んでください。
何はともあれ、マトリックス新作を作ってくれてありがとう!ラナ・ウォシャウスキー監督!
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