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メランコリアのbackpackerのレビュー・感想・評価

メランコリア(2011年製作の映画)
3.0
美しく幻想的な不気味さ。

デンマークが生んだ鬼才ラース・フォン・トリアー監督が、鬱病のどん詰まり後に展開した”鬱三部作”の2本目にして、観客の度肝を抜いた究極のメランコリック・ディザスター映画。
様々な映画関連書籍でその名を拝見し、いつか絶対見てみたいと思っていたところ、新宿シネマートにて開催された『ラース・フォン・トリアーレトロスペクテイブ』企画のトリを飾る作品に選ばれていましたので、大喜びで鑑賞しました。ま、率直な感想は「やっぱり喜んで見るようなもんじゃなかったな」ですけどね。

本作は、惑星・隕石の衝突を扱うSFディザスター映画に分類されそうな作品ではありますが、所謂ジャンル内秩序が組み込まれていないため、SF系ディザスター映画を想定して見に来たSF映画好きには、失望感を与えたのではないかと思料します。なんせ、物語の前半は、主人公姉妹の妹ジャスティンの、結婚式での奇行鑑賞会ですからね。

勝ち組自意識強めの姉クレアが「あなた(ジャスティン)のためだから」と押しつけがましく開催された豪華絢爛な結婚式は、姉妹のアナーキーな母とヒッピー気質の父(離婚済)の存在と、ジャスティン本人の制御できない言動が原因となり、無残な結末となります。
SFディザスター映画のジャンルを望んでみた人にとっては「なんじゃこりゃ」となりかねないですね。

もちろん、ラース・フォン・トリアー監督作品を見に来た人には、何ら問題のないことなのかもしれません。実際、この救いもなく気が滅入るユニークなSF映画は、上映開始後すぐに、今後の物語がどのような過程を進み、いかなる結末に辿り着くのかを提示してしまうという、自らスポイラーする作りとなっていて、相も変わらず挑発的です。この冒頭シーンは、現代アート風の不快感を惹起する画が連続するものの、不思議と引き込まれる魔力のあるルックとなっており、ラース・フォン・トリアーのセンスと偏執な性格が感じられます。
精神的に消耗状態にある妹が、みんな一斉に死にましょうという究極の状態が進行するにつれ、イ々に回復していくのとは裏腹に、俗っぽく勝ち組の幸福を喧伝する自己愛と自己主張の強い姉は、まさしく目前に迫る巨大惑星の衝突を前に、疲弊し狂気し悲嘆する。終わる世界の一幕は、対局にあるように見えた姉妹の相関を変化させる劇薬として機能させる。
ジャスティンとカレンの息子レオが一緒に作った結界の中で、いよいよその時を迎えたカレン。恐怖のあまり錯乱し頭を抱えて身問えする彼女と、何もかもを受け入れ穏やかに、瞑想するかのように座すジャスティンの対極的な姿からは、「いざ白分が避けがたい大いなる死に直面した時にどうなるか」を真剣に想起させると共に、カレンの味わった計り知れない恐怖の一端を追体験するかのような恐ろしさを味わいました。そこいらのホラー映画よりも怖かったですよ、ぶっちゃけ。


個人的なグッドポイントは、本作が”ゴルフ場映画"枠だったこと。
私の中でのゴルフ場映画は、主たる舞台としてゴルフ場が機能する(ゴルフをプレイすることそのものが物語の基本設定となっている)のではなく、あくまでゴルフ場がちょっとした舞台装置の一環として登場する映画のことを指します。(霊:『スティング」『蛇の道」『スパイダーマン ホームカミング」等)。なんかよくわかりませんが、不思議とそういう作品が好きなんですよね。なぜか。いつかちゃんと理由を考えてみたいですね。とにかくその点で本作は、紛れもなく素晴らしいゴルフ場映画でした。


「灰色の毛糸が絡まって。足を取られて進めない」
「時々あなたがたまらなく憎いわ、ジャスティン」
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