きざにいちゃん

地獄の黙示録 ファイナル・カットのきざにいちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

4Kリマスター版で何年かぶりに観る。
自分が年齢を重ね、社会環境も変わった為か、鑑賞後の印象も若い頃のそれとは自分でも驚く程変わっていた。

昔感じたように、描かれているのは紛れもなく戦争の狂気であるが、この作品の本質は、原題の「Apocalypse now(現代の黙示録)」が示唆するとおり、ベトナム戦争をモチーフに、現代社会の病理をヨハネ黙示録にあるハルマゲドンに見做して、人間にとっての恐怖、狂気と人間存在の関係を哲学的に描いたところにあるのだと感じた。

戦争の狂気や正義の名の下に平然と行われる欺瞞に必死に抗うことに力尽き、絶望と虚無の中で壊れてしまったカーツ大佐。地上の王国である現代社会や国家を否定し、彼は自らの中に作り上げた神の国をジャングルの中に具現化してしまう。まさに黙示録だ。しかし、悪の帝国の王として版図を拡げる意思はなく、自分を葬り去りにくる者との世界の終わりの最終戦争、ハルマゲドンをどこかで心待ちにしているという形になっている。

カーツ大佐の決定的な科白がある。
「恐怖そのもの(テラー)以上に、もっとおぞましい、悪臭に塗れた地獄(ホラー)と友達になるしかない。そうなることで初めて、子供の腕を躊躇なく冷静に切り落とせるような強さを得ることができる。生きる術とはそんな強さに頼ることしかないのだ」
彼が辿り着いてしまった思想は、「悪」ではなく「虚無」だ。散乱している屍や生首は、この虚無を得る為の夥しい数の生贄である。
ウィラードがカーツ大佐を理解してしまったのも、自分自身が地獄(ホラー)を嫌と言うほど見知りして来たからであり、恐らくは共感を感じたゆえにカーツ大佐を殺さずに共に何日かを過ごす。
共感のあまりに虚無に完全に取り憑かれてしまった前任者と異なり、ウィラードは最後にはカーツを殺すが、ここは任務の全うや正義によるものではない。師殺し、父殺し、神殺しの域にあるギリシア神話の「オイディプス王」の構図に近い。
ゆえに、ラストシーンは深い虚無に覆われることになる。もしかしたら、ウィラードは新たなカーツになって社会に戻って行ってしまったのかもしれない…

現代社会においても(特にこれを書いている2021年5月)世界を席巻する新型コロナウイルスをめぐって特に日本では沢山の政治家のエゴや欺瞞が溢れているし、世界各地で紛争や分断化は大きくなっている。ベトナム戦争当時のアメリカとは異なるが、本質的には似通った狂気や恐怖は現代社会にも満ちているがゆえに、今この作品を見直すと、ビビッドに響き、刺さるものが沢山ある。

余談だが、宮崎駿の漫画(映画でない原作の方)『風の谷のナウシカ』や、庵野秀明の『シン・エヴァンゲリオン』の核となる哲学もやはり新約聖書の黙示録に通底するものがあるし、特にエヴァの親殺し、神殺しはまさにオイディプス王。さらに言えば『スターウォーズ』シリーズで、ダークサイドに落ちたアナキンことダースベイダーも、カーツ大佐と酷似しているところがある。と、改めて聖書や神話の深さを思い知った作品である。

「ディアハンター」「プラトーン」「フルメタル・ジャケット」「7月4日に生まれて」など、ベトナム戦争を扱った名作は沢山ある中で、最も深遠なテーマに触れようと試みた野心的な名作と言える。