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婦人代議士アンジェリーナ
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『婦人代議士アンジェリーナ』に投稿された感想・評価

たとえ警察官である夫に逮捕されようとも眼前の理不尽にノーガード肉弾戦を展開し続ける一女性の誠実さと逞しさ。市井の人々の援護射撃を得ながら政界に進出したのちに自身の適正ポジションを見極めていくその決意表明が、陳腐な女性讃歌になる事を一瞬たりとも許さないThe闘争映画
コスミック出版からの名作映画シリーズ「イタリア映画コレクション〈越境者〉」のなかの一本として鑑賞。DVDタイトルは『婦人代議士アンジェリーナ』。原題のほぼ直訳で好感。

以下、備忘のために:

ザンパの証言によれば、アンナ・マニャーニは、この役のために衣装を用意させなかったという。というのも、監督と貧民街に入ると、有名な女優を一眼見ようと集まってきた女性のひとりを指差し、彼女から売ってもらったその服を身に纏って、みごとにアンジェリーナになり切ったのだという。(Alberto Pezzotta, "Ridere civilmente, il cinema di Luigi Zampa", Bologna, Cineteca di Bologna, 2012, p.225)

脚本にはスーゾ・チェッキ・ダミーコ、ピエロ・テッリーニが参加。テッリーニの従兄弟にあたるフランコ・ゼフィレッリは、最初、映画の宣伝ロゴのデザイナーとして働いていたが、撮影中にアンナ・マニャーニに認められ、建設業者ガッローネの息子フィリッポの役で登場することになる。ところが、スーゾ・チェッキ・ダミーコによると、ゼッフィレッリには撮影の途中で抜けてしまって、代役が立てられたらしい。ヴィスコンティの一座でアシスタントの仕事を得たからだという。それはもちろんザンパの映画の端役よりもずっと重要なんだろうし、人の良いザンパもゼッフィレッリのそんな勝手な行動に文句を言うこともなかったとという。でもきっと、スーゾは少しかちんと来ていたのだろうな。(op.cit., p.226)

 どこでゼフィレッリに代役が立てられたのか、DVDを少し見直してみると、アンジェリーナが刑務所から釈放されて団地に戻ってくるワンシーン(01.19.00 あたり)で、たしかに代役が立てられている。

  舞台となったのはローマのピエトララータ。ここは戦後の復興に取り残された地区として、エルサ・モランテ(『イーダの長い夜』)、パゾリーニ(『激しい生』)、モラヴィア(『ローマ物語』)などにも描かれることになる場所。フェリーノの『カビリアの夜』で映画館のLUX座があるのもこのピエトララータだったという。そんなローマの貧民街を舞台にしたこの映画、おそらくルイージ・ザンパが自分らしさを初めて出せた作品と言ってもよいのだと思う。

 物語はこうだ。ファシズム期の多産奨励政策によって5人の子供を育てる主人公のアンジェリーナ(アンナ・マニャーニ)。闇市で潤った食料品店が配給のパスタを出し渋ったのに怒って、倉庫を襲う。するとそれが新聞に立派な行動として取り上げられて、すっかり英雄扱い。アンジェリーナもすっかり気を良くして、彼らの居住地区の問題を次々と解決してゆく。遠かったバス停を近くまで来させ、壊れていた水道を復旧させ、その度に新聞に取り上げられ、住民からは拍手喝采。ついには代議士になるように持ち上げられ、ほとんどその気になってゆく。

 ところが、洪水で地区が水に使ったとき、建設中の共同住宅を占拠。ここに資本家のガッローネが登場。人の良いアンジェリーナはうまく懐柔され、あとで戻してやるという約束を信じて、住民に占拠を解いて家に戻るように伝えるのだが、お礼だという大金を見せられたときに、彼女は住民を裏切らるように仕向けられたことを知る。住民からも見放され、思い余った彼女は共同住宅を取り囲む警官に立ち向かい、逮捕されてしまう。

 しかし、アンジェリーナの娘アンネッタに熱をあげる息子フィリッポ(フランコ・ゼッフィレッリ)が父を説得する。両親のことは愛しているが、「5人の母親を牢獄に送るような汚いまね」には無関心でいられない、というのだ。この説得が父ガッローネの心を打ったのだろう。アンジェリーナへの告訴は取り下げられ、住民たちには古い団地と同じ家賃で新しいアパートへの入居が認められることになる。

 これでついに、アンジェリーナは代議士になるかと思われたが、自分には家族のほうが大事だと表明する。そもそも自分は代議士になるような器ではないけれど、みんなと一緒にいて、もし必要があれるならばこれまで通り「大騒ぎをする baccaja' 」のだという。

「baccaja'」は実にローマ的な言い方。イタリア語では「baccagliare」だけど、これは「バッカス祭、大騒ぎ baccanale 」から派生したものであり、アンナ・マニャーニのきっぷの良いセリフ回しが、じつのローマの下町的なのだ。

 そんなマニャーニを主人公に据えたザンパは、決して気をてらったことはせず、淡々とカットを重ね、物語を語ってゆく。それでもオープニングで、アンジェリーナの家の中で家族が寝ているベッドを映し出してゆくカメラワークは、おそらくドリーをつかって、セットで撮影している。これはたぶん後にエットレ・スコラが『特別な1日』で行った長回しで、オマージュを捧げるほどのできばえ。同じカメラをラストシーンでも使っているのだけど、どこか小津を思わせるエンディングでもある。それは決して、革命のようなものではなく、じつに庶民的な、家族愛に満ちたほのぼのとしたエンディングなのだ。

 そんなザンパ、自分の作品がなにか「美学的な仕事 impegno estetico」をしているとは思わない。彼にとって自分の映画は「社会的な責務 impegno civile 」を果たすものなのだ。特に政治的な立場があるわけではないザンパだが、彼の目線はあくまでも市民的な、それももっとも下に置かれている人々の目線に寄り添うもの。ザンパの言葉を引用しておこう。

「わたしが物事を観察するポイントは、いつだって権力に押し潰されるかわいそうな人々なのです。もしも権力がアネッリを押し潰すなら、私の知ったことではありません。しかし、生きる手段を持たない弱者を搾取するなら、わたしは気持ちを抑えられません。たぶん、そうやって義憤にかられてしまう資質があるからなのでしょう。わたしはどうしてもつい、ある種の作品を選んでしまうのだと思うのです」(op.cit., p.11)