銀色のファクシミリ

タイトル、拒絶の銀色のファクシミリのネタバレレビュー・内容・結末

タイトル、拒絶(2019年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

『#タイトル拒絶』(2020/日)
劇場にて。原作舞台未観劇。風俗産業の最前線での群像劇、その果てにあったのは「ある感情の動き」。そういう意味でなかなか出会えない傑作でした。終盤の映画的でありながらリアルを感じる演出、俳優陣がその演出を演技の力で主題を表現していくのも最高!

あらすじなしで感想。『#ホテルローヤル』と連続で鑑賞して理解が深まった作品。どちらも風俗産業の最前線にいながら、少しだけ客観視できる役割の人物が主人公。あちらはラブホテルの実質的な経営者、こちらはデリヘル事務所のスタッフ(伊藤沙莉)。

あちらはほぼ状況から離れた観察者だけど、こちらは事務所の新人スタッフで、この環境での「居場所」を作るために行動しなければならないという点が大きく違う。そんなの彼女を中心にデリヘル嬢たちの諸相が描かれていく。そんな軸がありながら、この映画の大きな特徴は物語が進んでいる方向のわからなさ加減。

映画には種々あって例えば「目的の達成」「主人公の成長」「新たな価値観の提示」なんてものがあり、様々なカタルシスがあったりする。しかし、この映画はそのいづれでもない「ある感情の動き」が最後に待っていて、ああ、ここに行くために登場人物の悲喜こもごもを描いてきたのだなと分かる。

主人公は最後に理由を語らないままあふれる感情を止められなくなり、NO.1嬢は同じく理由を語らず感情を爆発させる。二人の共通の想いは風俗産業に身を置かなくとも、色んな人が共感を覚える普遍的なものだと思えました。

ドキュメントでない、フィクション映画だから描けるリアルがある。そういう意味で2020年を代表する傑作映画だと思います。そして出演者の演技力が大きく作品の出来に関わる物語だと思いました。だから具体的な心象セリフなくビシビシ感情を伝えてくる俳優陣も最高。ネタバレなし感想はここまででオシマイ。

『#タイトル拒絶』ネタバレ感想。
新人スタッフの日々とデリヘル嬢たちの諸相が描かれる二本の物語は「ある感情の動き」に帰結する。ある普遍的な感情をこう描くのかという独自性と、舞台劇の原作をとても映画的なラストで終わらせる見事さ。

この映画、大きく二本の物語があって、ひとつは新人スタッフ(伊藤沙莉)の職場での日々と、もうひとつはその事務所に集うスタッフとデリヘル嬢たちの諸相。そこで浮かび上がってくるのは「こういうところで働いている人々も、当たり前の日常と喜怒哀楽と悩みがある市井の人々であり、またこういうところで働いている自分自身も周囲の人間も好きではない」ということ。たった一人だけここで幸せそうに働いている人が誰なのか、ということでそれを示しているのがエグくすらある。

デリヘル嬢になる覚悟も失くし、事務所のスタッフとして働き始めた主人公は、職場で会う人々とコミュニケーションを図るけれど、誰もとりあわない。そして唯一コミュニケーションが図れたと思った相手のある面を見て失望する。主人公は「こんな自分のク〇みたいな人生にタイトルはいらない」と云っていたが、その時点での認識もまだまだ甘かった。

自分が働いているのは当たり前の職場ではないし、同僚と呼べる人もいないのだ。自分はそういうところで明日も明後日も働かなければ、生きていくことすら出来ないのだ。自分の人生は、本当にク〇ような人生なんだと思い知り、涙が止まらなくなる。さらに事務所のNO1嬢は、笑顔という仮面をかぶり自分自身を覆い隠して生きている。しかし最後に抑えられなくなった辛さが爆発する。

この二人の共通する感情は「明日も明後日も同じなのかよ、もういやだ、やってられんねーよ!」という気持ちの爆発。

デリヘル事務所という性風俗の職場の物語ですが、家事でも学業でも就業でも「自分は、明日も明後日も同じことを続けなければならないか」ということに心底イヤ気が差し、「やってられない」という気持ちになったことがある方は多いのじゃないかと思います。

だから泣く主人公にも叫ぶNO1嬢に共感できるし、最後の「お腹空いたなあ…」というなんとも情けないセリフに、かすかだけど「それでも生きていかなきゃならない」というわずか希望を感じさせる。このセリフを都会の空に重ねるラスト。舞台劇を原作としながら、とても映画的な映像と演出で締める。原作の舞台劇がまず良いのだと思いますが、映画化のこの作品も劣らず素晴らしい出来だと思います。

実際にこういう事務所とそこで働く人々のドキュメント映画を作っても、(それはそれで見ごたえあるだろうけれど)、この映画で描いたようなリアルさは出てこない。この映画がフィクションであり、実力のあるキャスト陣が演じるから、事実の中に散らばるリアルを抽出できるというか。フィクションだから描けるリアル。ある意味フィクション映画というものを作る理由を証明したともいえる映画。とてもいい映画でした。ふせったーもオシマイ。