B5版

リチャード・ジュエルのB5版のレビュー・感想・評価

リチャード・ジュエル(2019年製作の映画)
3.0
イーストウッド監督の相変わらずの一つの実話を迫真迫る一本のドラマに仕立てあげる圧倒的な手腕を感じる一作。

四角四面、曲がったことが許せない性格の主人公はある夜のイベントの警備で爆弾を発見。奇跡的にも思える最善の行動を尽くして大勢を救う。
彼の英雄的行為は誰からも讃えられると思ったが…
偏見が、外野の狂動が、手柄への焦りが、一人の善良な市民を公然と地獄へ突き落とす。

日本でも昔、被害者が加害者と扱われた松本サリン事件があった。
悲惨な事件の犯人探しというものには被害者のためにも犯人を見つける、という正義の暴走でもあっただろう。
しかし今回は手柄を焦るFBIと目新しい情報を望むマスゴミの欲望のタッグが主人公を窮地へ落としいれる。
この時代にSNSがないが、誹謗中傷の総数はそう変わらないだろう。
刺激的なガセ情報は瞬く間に拡散されて永劫被害者の名前に纏わりつき、次発の訂正は先に拡散されたガセ情報より広がることが稀な事実も、また同じく。

今作「彼は犯人か否か?」というサスペンス要素がないために、盛り上がりには欠けるけど、それはもう『ハドソン川の奇跡』でやってるからね…
大きな物語の畝りには乏しいが、主人公の感情の揺れ動きのシーンにはとても感情移入した。
とにかくやる気が空回りしていて余計なことしがちの主人公。
警察に憧れるあまり、敵のFBI側を擁護したりする彼の負け犬メンタルに最初はイライラするが、ワトソン弁護士を通しての本音の憤りの吐露にはっとさせられた。

小市民が立ち上がるならもれなく利口にならなければいけない。
正しいことを証明したいなら尚更。
けれど一体それは誰のために?
今日、英雄になるものは己をブランディングできなければいけないのか?
そんな馬鹿な。

ところでこの作品、女記者キャシー・スクラッグスの描写に批判が高まったそうで、
たしかに描き方が前時代的である。
彼女自身は薬物の過剰摂取で冤罪事件の後に亡くなってる。
人の人生を揺るがした誤報を、何を考え、もしくは何を考えずに、報道したのかはもはや誰も知る由もない。
彼女の罪は大罪だが、死人に口なしとばかりにヘイトを浴びるビッチキャラとして描くのは全くフェアではない。
『ハドソン川の奇跡』でも無理矢理NTSBを悪役っぽくしていたが、流石に実名でのこういったやり方は卑劣の誹りを免れないと思う。
てか今回、悪役の書き方がペラペラでひと昔前の映画みたいだよね。そこが今ひとつ他作品と違って面白くない理由かも。

この映画で唯一真実と断言されるべきはリチャード・ジュエルが爆弾から大勢を救った、その行動だけだ。
一市民が思いがけず英雄に祀られる、その美しさや危うさを監督はこれからも取り続けたいのだろうな。
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