B5版

ヒトラーのための虐殺会議のB5版のレビュー・感想・評価

ヒトラーのための虐殺会議(2022年製作の映画)
3.4
豪奢な別荘地に集まる軍人、政治家達。
あるものは昇進後の初めての会議に狼狽を携え、あるものは根回しのために目を光らせ、あるものは自らの仕事量への苛立ちを隠さず、渋々といった面持ち。
社会人なら一度は体験するような、お偉方の集まる退屈極まりない様相の会議。
しかし決めている内容は世界史上類を見ない程の虐殺行為についてである。

この作品は会議の始まりから終わりただそれだけを写した淡々としたもの。
密室の中の会議がテーマの映画作品といえば感情が昂った人達が舌戦を交えるイメージだったが、人が持つはずの善性の部分が一切取り払われた場合はここまで毛色を異なるのかと愕然とする。

「最終解決」という言葉は流されている血に対し無頓着でいることに対して、なんて有効な言い回しなんだろう。
多くの人間は虐殺という言葉の剥き出しの残酷性に対面することに耐えられないが、ラベルを貼り替えることで夥しい死体を覆い隠すことができるばかりか、なんとなくポジティブな物事への道筋だという錯覚すら感じられる。
言葉を悪用すれば、人道に基づき暴力を発揮するという恐ろしい矛盾も容易く可能になる。
権力者が行う言葉の書き換えは強大な力を発揮する。そのことを市民は注意深くみることの大切さをこの作品は示唆している。

歪んだ道理が幅を効かせたせいで倫理規範のない社会が生まれ、自国も他国も荒廃の一途を辿らせた。
歴史の法廷で未来永劫許されない判決を下ったことなど知る由もなく、議事録は終盤の男達の喜色満面の様子を教えてくれる。 

後のアイヒマン裁判を見たハーレント氏が指摘した通り、
そこには自らの思惑のみに汲々した思考停止が蔓延していたのだろう。
この会議の様相の普遍性と、その結果生み出された異常性、
悪魔とはこんなどこにでもいる凡人達から生み出されるのだという寒気を感じる作品だった。
B5版

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