新潟の映画野郎らりほう

劇場版「鬼滅の刃」無限列車編の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

3.2
【刮眼】


原作未読/アニメ未見。
おそらく皆が委細承知であろう基本設定/情報が一切無い状態で観に行く。以下感想―。



無限列車客車内 ー 通路側に着座する杏寿郎。その横並びに座す炭治郎は窓側であり、当然窓硝子には[自身の鏡像]が浮かび上がっている。
車内照明の明滅に依る[人物像の消滅と現出]。流れ逝く車窓外と、対象的に相対静止した侭の車内とに想起される[内外世界乖離性]。

それら列車とゆう舞台装置が 本作主題〈内省/reflection/自問自答〉を暗示する。

故に直裁的な敵(鬼)が現出しようと、夢に落ちようと覚めようと、彼等が真に闘諍する対象は彼等自身である ― 炭治郎も、そして杏寿郎も。



伊之助に“ギョロ眼”と言及される様に、終始その眼を見開いている杏寿郎。
それが、杏寿郎自身に対する〈刮眼〉の顕現である事を、そして その眼が(対照として)いつか“閉眼”するであろう事を察知する。



self-esteem …

是も否も、喜も苦も- どんな自分も受け入れ肯定する。外他に惑わされず自ら自己の有用及び重要性を感じ、自尊を持つ。それが自身の成長と 不帰の客である前代への敬意、現代の責任、次代への慈しみへと連なってゆく- それが“継承”だ。



陽光が、その“成就”を祝福する様に 眩く降り注いでいる。




《劇場観賞》