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すばらしき世界のcocacorgiのネタバレレビュー・内容・結末

すばらしき世界(2021年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

先入観。へぇ〜北海道にも上野って駅があるんだ〜くらいに見ててふと、あ、もしかしてこれ隅田川だわ、と気付いた瞬間にどこか別の場所の誰かの話だったものが、一気に現実味を増して親近感を伴ってグッと迫ってくる。我ながらあまりにも短絡的な情緒に泣く。そして先入観は怖い。
すばらしい世界って言うからにはもちろんすばらしくない世界であることはもう分かってるしショックのあまりヘコまないように警戒して、定期的に最悪のケースを想定して、その上で玉砕しても良い覚悟で見た。けど想像よりす〜ごくマイルドな地獄で終わったあとは逆にぽかーんてなった。
これ本当にただ素晴らしい世界を描こうとした可能性もあるなー、とエンドロールで不安になってくる。
人の罪とか許しとか、許容とか、法の整備が追いついてねー、家庭環境とか、親とか教育とか、不寛容とか、偽善とか、生きるために自分を押し殺す矛盾、とかとか、それだけで作品になりうる断片はいくつかキャッチしたけど、じゃあこの話を最後まで通して総じて何の話、と考えた時にどれも違う気がする。
例えば、底辺だったり不幸だったり哀れで無意味で非生産的で無価値な人生、自分ならこうはなりたくないもんだねと憐憫まじりで横目に見られる誰かの人生があったとして、ぜんぜん素晴らしい人生じゃなかったねえと人に言われるのはお門違いかも知れんの、当の本人がそれでも良かったと思えて死ぬ時に後悔ではなく笑顔で逝けるなら、それはその人にとって素晴らしいことなんじゃないのかって。
とゆうか、明るい未来に胸膨らませながらウキウキしたまま最後の眠りにつくこと、明日に希望を残してそれをキレイな幻想のままで終えれること、人生の終わり方がこの形なら文句なしじゃ。まあどうせなら、道中も明るくハッピーであるならあるでそれに越したことは無いんだけども。
まあこれは期待を込めすぎている気もなきにしもで、ともあれ人の本質は他者には容易に分からんとゆうこと。でも、分からないからと分からないままにしておくとなんか不安だから、マイ杓子定規でムリに自分の理解できる範囲の形に当てはめようとしちゃう。それはべつに悪いことじゃない、たぶん。私の場合は自分の今いる場所(物理的)に近いかどうかは大きな基準で、その距離感がそのまま寄り添えるさじ加減にもなってると思う。で、すばらしくない世界を警戒してた身としては、私基準でのこのベリーハッピーエンドに辿り着いてやっと、あれなんか変だぞに至る。定規が狂ってるっぽい。
はみ出し者の生きづらさ。と、知ってる範囲での公約数的なとこだけ受け取って見てると私の場合、ほぼほぼの確率でエンディング近辺で齟齬が出始める。
道を踏み外した広司役所が社会に受け入れられてく再起の物語としては、自分の罪に対しての反省なりなんなりのフィードバックが完全に欠けている気がする、なんなら人を殺したことは間違ってなかったとゆう思いはどのタイミングでも変わってない。べつに、反省をしろとか罪の意識を持てとか何につけても殺しは悪とかおっさんに説教したいワケでない、けど、罪を犯した者がその自覚なしに幸福な結末を迎える物語、なんて経験則からは外れてる。んだけど、でもそうゆう話にしてもぜんぜん良いんだわな。
クルエルワールドで1番狂ってた狂気の後輩くんがカツアゲヤンキーとして登場して、広司役所に食されてボコボコにされ、これあとで絶対に人生が好転し始めてから報復にきて最悪にかき乱す展開くるなぁ…と思ってたら、何事もなく退場なされたので、予想がアテにならない。
ご近所さんとの騒音トラブルもそう。広司役所の就職祝いのシーンで、一度広司がお怒りになってるワケだから、今度は逆に声小っさチンピラが怒鳴り込みにくるパターンもあるなぁ…とヒヤヒヤしてたのに、ただただおめでたいシーンだった。
長澤まさみの冷淡な興味も、誰かの不幸を飯のタネに深刻なトーンで真面目な素振りで茶化してムナクソォォォとなっても良さげだったのにセクシーポーズだけ決めて帰った。
ドライブ西島カーの三浦ドライバーがすんごいぞんざいな扱いで、もはや誰でも良いレベルの背中だけで喋ってる。
コスモスの花言葉は調和と乙女心。
想定の最悪をぜんぶ下回ってゆく。登場人物も軽薄さはチラリと見せるけど、そこまで悪い人たちじゃない。さらに隅田川のせいでフィクションの中の下町の人情風味を強めに感じてしまう。ほんとにぜんぶ先入観が怖い。
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