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オッペンハイマーのcocacorgiのネタバレレビュー・内容・結末

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

感情は理性に勝って良いのか。ルサンチマンの果ての賢者タイムを、ものすごく几帳面に真顔でやる理性のノーラン。
宇宙の始まりとも言われる神の(ような)力を実現した人間はいつどのタイミングで罪悪感を覚え、我に帰るのか。
そもそも初めの殺人未遂から、恋愛も含めて我が子を手放す瞬間もそして作った後も、オペンは最初から最後までずっと罪悪感を知っている。なのにリンゴに毒を盛るし、愛人を選ぶし、育児を放棄する、その瞬間の昂ぶりで動いて、あとで後悔かなんかしてみる。どこにでもいる凡庸な人間がオペン。感情で動き理性で止まる。
けどもそれは、やる側とやられる側の関係で言えば圧倒的に前者が抱える贅沢な悩みで、後者のモノクロの恨みの前では悲劇の自分に酔ってるキモ男でしかない。火を取り上げられた者は暗い。
しかしながらオペンもやられた側にいる。気がするのは、やられた側はどこかではやった側にいるからで、逆もまた然り。加虐をさて置いて被虐を嘆くか、被虐を堪えて加虐を止めるか、理性より感情か、一線を引くか、悟るか。やられた側の視線の先にはやった側がいるのに、そっぽを向いてるから気付いてくれないし、実は自分も気付いてない。熱い視線が相互に交わらない。かも知れないので気をつけて生きようと思いました。
顔から火をふき、火を取り上げられて、火の海に、トニースタークからオペンへ、オペンから神へ、2人の一方通行なルサンチマンが招いた世界の終わり。そのおこがましさは科学者と神との正しい関係性と距離感な気もしないでも、な気で腑に落とそうとしている。あまりにも理解できない領域にいる人を、最凡庸な頭の中で輪郭ぐらいは掴んでみたい虚栄心のせいかも知れない。
やった側がすべきは、反省なのか後悔なのか、いっそ堂々とするか。たぶん彼の最後の表情はそのどれでもなかった気がするけど。まさに賢者タイムで我に帰ったような。男って生き物は勝手に1人で賢者するから良くないよ。

しかしながら当たり前だけど、オープニングから最後まで一貫して神が基準にあるグループの理論であって、神の力と形容するぐらいのもんで、引用もするもんでって、聖書を読むと意識が飛ぶ私にとってこの3時間は圧倒的にそのまま3時間を感じる仰々しさで疲れて、なんか人として申し訳なさを感じるに至る。理性を差し置いて感情で言うと、もうちょいかいつまんでほすぃ。
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