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花束みたいな恋をしたのichiのネタバレレビュー・内容・結末

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

2015年。
21歳の八谷絹(有村架純)と山音麦(菅田将暉)は、終電を逃したことで偶然に出会う。趣味趣向、感性感覚がよく似ている2人。すぐに意気投合し、何回目かのデートで付き合うことに。
そんな二人の5年間を描いた映画。

2人の世界観、雰囲気がとても魅力的だった。
波長が合う2人を見ているとこちらも幸せになる。ずっとこの2人でいて欲しいと願う気持ちが大きく育つ。
それだから波長のズレが生じ始めたときには居ても立っても居られなくなった。
第三者なのに。映画なのに。

2人の出した答えと2人の行く末を思うと感情が激しく動かされるけれど、(特に最後のファミレスのシーンなんて…)きっと自分が思う程、当人達は大丈夫なんだろうと思う。
そういうものだろう。

変哲もないカップルの人生を、それ以上でもそれ以下でもなく表現し、それでいて一つのエンタメとして上手く昇華させた映画だと感じた。

映画の半券を本のしおりにするの真似しようと思ったし、今村夏子の「ピクニック」読もうと思った。

絹が違う男とラーメンに行った帰り(行ってないのか、はたまたそれ以上のことがあったかさだかではないが)
同じ車両に偶然仕事帰りの麦がいた。
お互い気づいた時の表情が印象的だった。
麦の疲れた中にみせた笑顔。
絹のなんだかぎこちない気まずそうな表情。

最初は音楽を共有する道具だったイヤホン。
(その時に受けた謎の説教が、この映画の冒頭のシーンに繋がっている)
それが絹がゼルダをしているシーン。
「音大きくしていいよ」とそそくさとイヤホンをし仕事をする麦。
2人を分け隔てる道具に変わっていることが2人の関係をそのまま表しているようだった。
同じスニーカーがそれぞれ変わっていったことも然り。

ずっと2人で居たいから安定を求めて仕事優先になる麦。
社会の責任や人を養う為の責任を感じているようだった。
それに対し、楽しいことを共有していきたかった絹。キス等のそういうコミュニケーションは沢山したい派と初めてのキスの時に言っていたのだから、レスになった日々はより一層の孤独や寂しさを抱えていたのは想像に難くない。

1人の寂しさより2人の寂しさのほうがよっぽど寂しい。

久しぶりに体を重ねたあの時に既に絹は別れを決めていたように思う。

最後のファミレスのシーン。
久しぶりに2人でそれはまるで付き合いたての頃のような楽しい時間を過ごす。
何かを捨てた或いは諦めた時にカップルの関係が良くなるのは不思議だ。
麦はそれを恋愛感情が邪魔をしていたと言い、決めていた思いとは異なることを絹に訴える。
絹はどうせ今日だけだと怖いほど冷静に麦に返す。
2人の近くに恋の始まりを予感させる男女が初々しい会話をひろげる。
それを見て堪らず絹は外に出てる。

求めてももう求められないものを、決定的にされたシーンのようだった。
そこに堪らなく切なくなった。

猫をどっちが飼うかのじゃんけんで麦がパーをだして勝つそのシーンに、社会の不条理さに耐え飲み込むことを覚えた麦の変化がみてとれるようだった。

今年一番刺さった映画。
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