冒頭、雨の東京。ある者は公園で、またある者はガード下で、センター街で、中央分離帯で踊り始めます。年代も見てくれもダンスの巧拙もそれぞれに異なる彼らはなぜ踊るのか。ひとりひとりの姿を追い、グループの主宰者に経緯を訊くことで少しずつ明らかになっていくその全貌。3年の月日をかけて作り上げられたという作品の至るところに、フラットな風通しの良さと作り手としての誠実さを感じました。
フライヤーに大きく据えられた「社会のルールが正しいですか?」の問いかけは、取材中に主宰者・アオキ氏が砕けた調子で発した言葉。これをいかにもステレオタイプな社会への怒り、つまり路上生活者たちの恨み節とばかり思っていたわたしの想像は、上映中にことごとく打ち砕かれていきました。何故って?彼らは皆、そこに至った境遇こそ異なるものの一様にどこかあっけらかんとしていて、淡々と訥々と己の体験を語ってみせるからです。それはきっと、製作側が作品のビジョンを敢えて固めずに臨んだからだと思う。「虐げられる路上生活者の苦難を描こう」とか「踊ることによって得た変化に迫ろう」といった落としどころをあらかじめ決めた上でそこへ誘導するような訊きかたをしたならば、こういうふうには決してならないと思うのです。序盤では「父親の話は勘弁してください」とやんわり拒絶していたダンサーの一人が、やがて詳細を語るばかりかクルーに逆質問しカメラに触れたいとまで言い出す場面がとても印象的でした。あちらとこちらの目線が等しく同じ高さに収まり、カメラの先にある景色を共有してみせることで、彼がすっかり心を開いてみせていることが伝わってきたように思います。
一方、グループが抱える課題はふたつ。資金面、そして世間の反応です。卓越した身体能力に依らない彼らの表現は、ダンスに疎い一般人のわたしからみると「みんなちがってみんないい」の範疇を超えるものではありませんでした。これを唯一無二のゼニが取れる興業にするために必要なことって何だろう。そして、彼らに寄せられる「踊れるなら働いて税金を納めてほしい」という声は至極まっとうではあるのだけれど、それを当事者にぶつけてしまわずにいられないほど苦しい状況に置かれているひとたちがいかに多いかという社会全体のゆとりのなさを思い知らされました。ほか、思い出すことがあればまた書き足します。