スッと忘れてしまったのですが、
「静けさがこわい」
「でも存在がなかったことになるのはもっとこわい」
みたいなやりとりで、サルマ・ハエックとエル・ファニングがリンクするように見えてグッときました。
認知症を患っている父と、
病がゆえにすんなりいかない付き添いに翻弄される娘の1日。
映画館にいながらにして、
ニューヨークの騒がしさと不潔さと美しさ、ギリシャ(アルメニア?)の海岸の開放感と日差しとアルコール、メキシコの熱っぽく埃っぽい空気と文化の一端を感じられた。
人生は“選択”によって分岐するものだと思うのだけど、なぜ彼が今日この二つを選んだのか、そしてなぜああ帰着したのかはハッキリしません。
自分の望む結末への”希望”や”言い訳”も含まれているかもしれないけれど、結果それがモリーを救うことになる。
…そんなふうにわたしには見えました。
現実が幻想にちらちら顔を出す(多分)のが夢を見ているようで、きっと認知症を患ったときのリアルなのかもしれないなと思いながら、介護のお仕事の方の大変さを垣間見つつ。
みんなが「彼」と呼ぶことに対してイライラするのは、もしかして自分と重ねていたからなのかも、と思いました。
名前は自分が実体になる唯一の言葉だから。
エル・ファニングの髪がフワフワで
綿のよう。コートで歩いちゃうかっこよさにシビれました。
あとお揃いはかわいすぎる。
ラストは「ん?」と思ったのだけど、
wherever I am, I’m there.
but you are not.
へのアンサーというか、
わたしはハッピーエンドだと思っています。
もう大丈夫、みたいな。
夜1人で歩いてあの夜景を観るのは難しいかぁ…と思いながら
ニューヨークに行きたくなりました。