【狭小な世界】
キャメラは全編に渡って 人物を接写で捉える。
画面は人物に依って埋め尽くされ 景観が映る余地なぞ当然無い。
仮に映ったとしても、人物極大接写故のシャロウフォーカスに依って 霞み、ぼやけ、遠景は総じて〈展望〉を欠く。
鼻に針を突き刺す時。下腹部を打擲する時。そして、NY地下鉄車両の薄汚れた窓 ― 主人公少女オータム(フラニガン)は 劇中、幾度も 〃も 鏡 或いは窓といった鏡写装置に映り込む―。
接写と鏡写。上記二点だけでも、少女が 周りが見えず『自分しか見えていない』事が諒解出来よう。
社会性。生命倫理。性にはもっと歓びもあるし、素敵な男性だって 世の中には幾らでもいる筈だ。
世界には もっと気付く事、見なきゃいけない事が沢山ある。これだけが世界じゃないんだよ。
然し彼女にはそれが見えない、見る事が出来ない。
自分自身の事で目一杯だから…。
彼女に見えるのは 昨日と今日だけであり、明日の〈展望〉は存在しない。
せめて…、鏡像が 自分しか見えない〈自分本位〉の表徴ではなく、もう一つの世界〈異なる可能性〉を示していたのだと願いたい。
《劇場観賞》