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17歳の瞳に映る世界のumisodachiのレビュー・感想・評価

17歳の瞳に映る世界(2020年製作の映画)
4.6


昨年見逃していたこちらを鑑賞。

ペンシルベニアに住む17歳の少女スオータム。妊娠したことに気づいた彼女は、誰にも言えずに悩んでいた。ペンシルべニアで未成年が中絶を行うためには、親の同意が必要だからだ。そんな彼女の異変に気付いたのは、同じスーパーで働く従姉妹のスカイラー。スーパーの金をちょろまかした彼らは、バスに乗って中絶が可能なNYへと向かうが……。

噂に違わぬ素晴らしい作品だった。多くを語らず、追い詰められたオータムと彼女に寄り添うスカイラーの視線で現実を静かに鋭く見つめていく。彼女たちが晒され続ける性的な視線。決して安全ではいられない道中。妊娠と中絶の責任を女性だけに押し付けようとするペンシルベニアの病院。うっすらとしかわからないが、ほとんど確信を持って感じられるオータムが置かれた生活環境。

ほぼ表情を変えないオータムが、NYでカウンセラーと話すときと手術後にスカイラーと話す時だけ感情を見せる。その表現手法も素晴らしいと思った。

原題の「Never, Rarely, Sometimes, Always」はNYのカウンセリング時に登場する言葉なのだが、あのシーンでは涙を堪えることができなかった。押し殺してきた厳しい現実と気持ちが、溢れ出てきてしまう数分間。まだ子どもなのにどうしてこんなに苦しまないといけないのか?「あなたが決断することが大切」と断言するカウンセラーの言葉は、多くの女性の心を救うだろう。

ペンシルべニアの病院で中絶の可能性を告げたとき、オータムは啓蒙ビデオを見せられる。中絶がいかに罪深いかを、胎児を視覚化してプレッシャーを与える目的で作られたものだ。何を隠そう、私も同じようなビデオを高校時代に学校で見せられている。カトリック系だったので当然中絶は悪という価値観であり、「高校3年生になると必ず見せられるビデオがある」というのは有名な話だった。視聴覚室の外に車椅子が置かれていたと記憶している。毎年たいてい気分が悪くなる生徒がいるためだ。

そんなこんなで、そんなビデオは見せられるし、自分もクリスチャンだし、同じくクリスチャンの親戚がいろいろと傷ついたりしたし……で、私自身は中絶に対してかなり恐怖心というか、抵抗を感じていることは否定できない。しかしそれは刷り込みみたいなもので。他人に対しては何も思わない。望まない妊娠の場合はもちろん、そうではなかったとしても、本人が考えて下した決断ならばそれを尊重すべきだと考えている。

ところで、会社員時代にかけられた忘れられない言葉があるのでこの機会に記したい。数多くのセクハラ発言に遭ってきたが、その中でも本気でその場で吐きそうになったものがひとつあって。どうしてもそのことは文章にできなかったのだが、オータムとスカイラーの勇気に触れたので書いてみようと思った。

コンテンツの制作に携わるかなり上の立場の男性と数人で仕事終わりに食事をしていたときのこと。恋愛を描くことで定評があったその男性は、唐突に私にこう聞いてきた。「中絶したことある?」

私は一瞬何が起きたかわかならくて頭が真っ白になった。そして、おそらく「ないです」と答えたのだと思う。すると彼は、「今までこの質問いろんな女の子にしてきたけど、中絶したことあると必ずそういう顔するんだよね」と言った。

その後のことはあまり記憶がない。ただ、しばらくずっと社内の様々な女性の先輩の顔が脳裏に浮かんでは涙が出るのを堪える日が続いたし、その時のことがフラッシュバックしては吐きそうになった。私はまだいい。実際にその傷を負っていないのだから。でも、同じ言葉を投げかけられた人の中には確実に当事者がいたはずなのだ。そんなことを聞く人間が、そんなことを言う人間が世の中にいることが信じられなかった。殺す気か?女性の身体を、女性の精神を何だと思っているのか?

悪夢のようだが彼が得意とするジャンルは恋愛もので、すでに成人している娘が2人もいた。娘にも同じことを聞けるのだろうか?心を殺しかねない言葉で色々な人に切り付けて、「俺は女心がわかっている」なんてちゃんちゃらおかしい。私の中で彼は心の殺人鬼だ。妊娠は女性だけではできないのに、部外者みたいな顔して安全な場所から切り付ける殺人鬼。自己満足のために他人の心にズケズケと踏み込んで、勝手に悦に入っているとしか思えない。

きっと、この映画を観ても「こんなに酷い男ばっかりじゃないはずなのに極端な」と思う人がいる。また、搾取されるスカイラーを見て「女の武器を使えてラッキー」と思う人もきっといる。「こうやって中絶できることを知ったら、オータムはまた繰り返すだろう」と思う人もいるかもね。ある程度はきっと仕方がないのだ。だって、多くの男性にはわからないのだから。

歩くだけで性的な視線に晒されるから警戒しなければならないという”日常”も、肉体的な関係を持ったら妊娠するかもしれないというリスクや恐怖も、中絶に伴う身体の負担も、自分のことでなければ想像するしかない。そして、我がことのように想像するのは決して簡単なことではない。

だからこそ、『17歳の瞳に映る世界』は意味がある作品なのだ。オータムとスカイラーを通して、想像することができるから。全員には届かないかもしれないが、きっと本作を観た多くの男性が我がこととして想像できるし、多くの女性が自分と同じだと勇気づけられるだろう。オスカーとスカイラーの明日が、すべての女性たちの明日が、明るく光り輝いていますように。












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